あやにくに煩ふ妹が夕ながめ

N0408280322

―表象の森― ふたつの画集

市岡OB美術展の最終日-5/24-、閉館も近い午後4時前の現代画廊は、生憎の雨模様にもかかわらず、懇親会に集った関係者で溢れていた。常連の出品者らはほぼ顔を揃えていたのはもちろんだが、生物の小椋さんのほか見知らぬ顔ぶれも幾人か交えて、テーブルを長く囲むようにして和やかに賑やかに団欒モード。
ところが、梶野御大の姿がまだ見えぬ。相変わらずの超遅刻で、お出ましは私が着いてからさらに20分ほど経っていたか。

幹事役の神谷君から昨日会場に到着したばかりだという「中原喜郎作品集」が紹介され、希望者らが各々手に取っていく。絹代夫人の精魂かけた画集は、判型285×225、152頁立て。手に取るも開いてじっくりと観られるようなその場でもなく、対座は帰宅してからのことだ。

ニューミュンヘン梅田本店へと会場を移しての宴は総勢23.4名か、長テーブル二つに窮屈なほど詰めて、相変わらずなかなかの賑やかさだったが、顔ぶれもほぼ固定、この会も十年を経てずいぶん高齢化してきた感が先立つばかり。
一瞬、石炭倉庫の情景を思い浮かべては隔世の感がすることに愕然としてしまうほどだ。

お決まりの三次会、カフェ・コースに落ち着いたのは8人だったか。席上、遠田珪子さんの夫君遠田泰幸作品集をざっと拝見させて頂いたのだが、隣に座る彼女に気の利いた感想の一つも発せぬ自身の無粋さに、みんなと別れて独りになってから気がつく始末では、我ながらまったくどうしようもないヤツガレである。

ともかくもこの日わたしは、異なる二人の画家の遺稿集-画集-を手にすることとなった。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」−27

   垣穂のさゝげ露はこぼれて  

  あやにくに煩ふ妹が夕ながめ  越人

次男曰く、ナデシコとトコナツは同じ花の別名と、越人も承知して付けている。そうでなければ、後の名月に寄せて前の名月を偲ぼうという興がこの両吟のそもそもの趣向であるにせよ、こう易々と-玉鬘と夕顔との-俤の取替はできぬものだ。

「煩ふ」は病とも恋とも、その他もろもろとも解せるが、苦悩を一つに限りたくない気分が作者にあるようだ。「夕ながめ」は、先の「秋の夕ぐれ」-第四-と同じく名をかすめた越人一流の栽入だが、遡れば、十一句を隔てて、朝・昼・晩と移る恋の情が現れてくる。

   足駄はかせぬ雨のあけぼの
  きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに
   かぜひきたまふ声のうつくし
  手もつかず昼の御膳もすべりきぬ

そして「あやにくに煩ふ妹が夕ながめ」である。後朝の恋が昼まで尾を引けば、夕にはどうなったろうと考えるのは人情だが、その辺の目配りは越人にもあったに違いなく、事実「夕顔の巻」には、その年の八月十五夜がことのほか寒かったことも、翌十六日は源氏が「日たくる程に」起きてきたことも、ちゃんと書かれている。

「雨のあけぼの」以下四句のはこびが、単なる王朝趣味の恋句ではなく、じつは夕顔に狙いを付けた巧妙な伏線だった、と気付かせるように「夕ながめ」の句は作られている。

「物いそくさき舟路なりけり−越人」、「月と花比良の高ねを北にして−芭蕉」と、纏綿とした恋の情をひとまず預けて旅体に転じたエピソードにも、いきおい、あらためて心が戻る。作り物語と軍記は違うが、「源氏」も「平家」も通底する「もののあはれ」は同じだ。合せてみたくなってあたりまえで、「海道下り」の栽入-「比良の高ねを北にして」-が思いがけぬ興を生む。

「夕ながめ」の句は、重衡の亡骸を日野に取り寄せた北の方の悲歎-平家物語・巻11、重衡斬ラレ-とも読め、うまい添えかたをする。

須磨の浦に「其日のあはれ、其時のかなしさ、生死事大無常迅速」-四月二十五日付、伊賀の猿雖宛-の感を覚えた俳諧師にしてみれば、こういう目配りの利く相手はとりわけ気に入ったろう、と。


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