垣穂のさゝげ露はこぼれて

Db070510093

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」−26

  ほとゝぎす鼠のあるゝ最中に 

   垣穂のさゝげ露はこぼれて  芭蕉

次男曰く、天井裏で鼠が暴れれば垣根の大角豆-ササゲ-が驚いて露を零-こぼ-す、というユーモアにはしほりがある。

二句一意、滑稽歌ふうに仕立てながら、二ノ折入以下のひそひそとした人情句続の息苦しさを、しばし庭の眺めに目を遣る体にほぐしている。

即妙の気転で、常人なら「こぼして」情で作りたくなるところを、「こぼれて」と怺-こら-えたあたり、景を景たらしめる作意充分の付だが、こういう応酬には必ずや素材に用の含がある。

タマカズラ−玉鬘は玉蔓-つる草の美称-に通じる。因みに、玉鬘はもともと蔓に玉類を吊り下げて頭飾りとしたもので、緒玉にこしらえたのは後の工夫だろう。「垣穂のさゝげ」は、玉鬘の俳言だとさとらせるように、句は作られている。「垣穂」と蔓は寄合、ササゲ-カキササゲ-はつる草だ。「露」も玉の縁語である。

ササゲは晩春・初夏に種を下ろし、晩夏・初秋の候、莢-サヤ-に実が入る。今の歳時記はこれを秋の季とするものもあるが、昔は晩もしくは仲夏としている。莢は若い頃がよい。夏季の扱いは旬の味に拠ったものだろう。秋になって成熟したササゲの莢の長さは2.30?、なかには1m余にも及ぶものがあり、十六ささげ-一莢に16子入-、十八ささげの呼名が生れた。寺島良案安の「和漢三才図会」-正徳3(1713)年-や貝原益軒の「大和本草」-宝栄5(1708)年-には十八ささげが、人見必大の「本朝食鑑」には十六ささげが挙げられている。ジュウロクササゲは今でも学名になっている。

その十六がどうやら、隠されたもう一つの含のようだ。頭中将の常夏の女-夕顔-が撫子-玉鬘-を宿したのは、十六歳の、季節も夏の頃である。三年後、八月十五夜の明け方近く、なにがしの院へ源氏に連れ出された女は、十六日宵過ぎに呆気なく頓死する。これはササゲの実入りの始終にとりなして-「垣穂のさゝげ-十六-露はこぼれて」-、面白く擬人化できる話だろう

「垣穂のさゝげ」を、玉鬘にとどめず、合せて夕顔の俳言でもあるらしいと覚れば、ササゲの蔓にヒョウタンが生るという冗談はわるくない。ユウガオもつる草である。因みに「常夏の巻」には、美しく成人した玉鬘を実父内大臣-前の頭中将-に見せたくなって、亡き夕顔を偲びながら源氏の詠んだ歌がある。
  「なでしこのとこなつかしき色を見ば本の垣根を人や尋ねん」

遡って「帚木の巻」には、女児を産んだ常夏の女が頭中将に書遣った歌
  「山賤-やまがつ-の垣穂荒るとも折々にあはれは掛けよなでしこの露」
が見え、「ほとゝぎす」以下二句の付合はこの歌をもからめているように思う、と。


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