ぬのこ着習ふ風の夕ぐれ

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―世間虚仮― 一科学者の死とノーベル賞

ニュートリノ振動-素粒子ニュートリノに質量があることを立証-の発見をしたことで知られる物理学者戸塚洋二氏死去の報に、ノーベル賞の有力候補と目され期待が集まっていただけに、その死を惜しむ声は大きく、各紙とも突然の訃報を悼む声をさまざま伝えている。

戸塚洋二氏は1942年生れの66歳、素粒子物理学宇宙線物理学の小柴昌俊氏-02年ノーベル賞受賞-の愛弟子の一人で、90年代半ばから宇宙線観測施設の「スーパーカミオカンデ」の責任者として国内外の研究者100人余を率い、ニュートリノの精密観測を続け、98年、ニュートリノ振動を観測、20世紀物理学を大きく覆す発見となった。

彼は00年に大腸癌の手術を受けるも、肺などに転移し入退院を繰り返してきた。末期ガンとの8年にわたる長い闘病生活を、肺から全身に転移していった過程や、手術や抗がん剤による治療を冷静に記録してきた、という。

「私のがんは、もう最終段階に来ています。でも研究者という職業柄、自分の病状を観察せずにはいられない」
との言葉は、発売されたばかりの文芸春秋8月号-7/10付-に掲載の立花隆との対談のなかでのものである。

彼の為人-ひととなり-を知るには、対談の相手でもある立花隆の東大ゼミの記録サイトというべき「見聞伝」のなかに「科学入門」の題で講義記録が掲載されており、その語り口は真摯さと滋味あふれるもので一読に値するだろう。

ご承知のとおり、ノーベル賞というのは、生存中の授与が原則、死者には与えられないことになっている。これまで唯一の例外が第2代国連事務総長のD.ハマーショルドの平和賞受賞だったとか。

師の小柴昌俊氏に続いて、日本人による史上初めての師弟受賞かと期待されてきたというだけに、関係各処の悲歎と落胆はずいぶんと大きいものがあるようだが、ガンとの闘病のなかで静謐に生命を見つめつつ研鑽にたゆまぬ姿勢を保持しえた一科学者の矜持と、ノーベル賞の期待に些か騒擾に過ぎようかと思われる周辺世間とのこの対照、彼の講義録などを読むにつけ、どうにも此方の心には異和がつきまとってやまない。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−32

  柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ 

   ぬのこ着習ふ風の夕ぐれ   凡兆

次男曰く、新蕎麦は仲・晩秋、蕎麦刈は初冬の季とするが、蕎麦という季語はない。雑の詞である。

史邦の句は、春秋の季続は三句以上-五句まで-という式性を利用して「蕎麦ぬすまれて」を晩秋と読ませたもので-秋の霜は晩秋の季-、順の季移りに作った凡兆の着眼には理由がある。布子-綿入れ-は初兼三冬の季だ。

句は人情の二句続で、其人の付である。

「はやぬの子着習ふ程になりたりとは、老人のさまもありて、人よりははやく着たる模様也」-猿みのさがし-、「前二句間より仮現せる悲涼の気を奪ひて下せし感あり」-樋口功-、「一句も付意も解を待たで明らかなり。冬季の句なり。前句を暮秋としたり」-露伴-、と。


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