柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ

Db070510027

―表象の森− 無償の秩序

<A thinking reed> S.カウフマン「自己組織化と進化の論理」より

2.生命の起源 

  • 単純な確率論からいえば生命の誕生はありえなかった-

生命の理論‥‥。
・細菌の生じた原因は空気それ自身にある−ルイ・パストゥール

・原子スープ−大気中の単純な有機分子が、他のより複雑な分子とともに、新たに形成された大海の中にゆっくりと溶け原子スープが作られた。

・自己複製する分子の出現
DNAの二重螺旋構造は、分子がどのように複製されるのかを教えてくれる
だが、タンパク質である酵素の複雑な集団が仲介しなければ、DNAだけでは自己複製はしない。
RNA-リボ核酸-の発見−RNA分子が自分たち自身の酵素として働き、反応を触媒できるという働き−RNA酵素-リボザイム-

・どんな生物も閾値以上の複雑さをもって生じたようにみえる
自由にふるまうことのできる生物のもっとも単純なものとみられるプロナイモでさえ、細胞膜、遺伝子、RNA、タンパク質合成機構、そしてタンパク質、といった標準的な要素をすべてもっている。

すべての生き物は最小限の複雑さを兼ね備えていて、それを下回ると生きていけないようにみえる。
プロナイモよりはるかに単純なウィルスは、自由生活を営んでいない。これに寄生者であって、宿主の細胞を侵略し、自己複製を達成するために細胞の物質代謝機能を利用した上で、その細胞から抜け出し、他の細胞を侵略する。

閾値は、ランダムな突然変異と自然淘汰に由来する偶然の賜物ではない。おそらく、それは生命に固有なものであろうと考えられる。

生命の結晶化‥‥。
・無償の秩序
生命の起源について、「われわれは生じそうもなかったもの」から「われわれは生じるべくして生じたもの」へと書き換えられるとすれば、そこには「複雑系における自己組織化」のもつ深遠な力を見出さないわけにはいかない。

複雑系における自己組織化−そこでは時間こそが英雄であり、20億年あるいは40億年といった、とほうもない時間こそが奇跡を成し遂げる。

化学物質の集合が十分な種類の分子を含んでいるときには、そのスープから物質代謝が必ず現れる。
この物質代謝のネットワークは、一つの要素ごとに別々に組み立てる必要などはなく、原子スープの中から、十分に成長した形で自己組織的に生じることができたのである。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−31

   湖水の秋の比良のはつ霜 

  柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ  史邦

次男曰く、秋三句目を以て名残の裏入りとしているが、蕎麦は茎弱く、霜を嫌う。
李時珍の「本草綱目」に曰く、「立秋の前後に種を下し、八九月収刈す、性最も霜を畏る」と。晩秋・初冬にこれを刈るのは、そのあとに麦を蒔くという必要からばかりではない。

初霜を見て、そろそろ刈り入れようと思っていた矢先に盗まれた、というのは俳になる。

「歌をよむ」は、前句を和歌らしい姿と眺めた成行上の思付のように見えるが、じつは芭蕉の去来讃に唱和する工夫である。「蕎麦ぬすまれて歌をよむ」風狂人は、一夜にして落ち尽した柿の嘆きを句-柿ぬしや木ずゑはちかきあらし山-に詠んだ男と等類である。

この巻は、初折裏入の巡も史邦で、前は去来の「人にもくれず名物の梨」だった。偶々今度も名残裏入に当って、其人の千両役者ぶりに、芭蕉と二句一意で喝采を送ると考えれば、「柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ」の諷喩は適切かつおもしろく読める。いくぶん尻軽と見れば見れぬこともない史邦らしい取持の工夫が、よく出た句作りである、と。


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