電車終点ほつかりとした月ありし

ムンク伝

ムンク伝

―山頭火の一句―
句は先と同じ「層雲」大正9(1920)年1月号所収

皮肉なめぐりあわせというか、サキノとの離婚が戸籍上成立してしまった-大正9年11月11日-同じ月の一週間後、山頭火は砂ふるいの肉体労働から解放され、東京市役所臨時雇員に昇格、一ツ橋図書館への勤めに変わっている。
さらに翌年6月にはアルバイトから本採用となり、月給42円の職員となっている。

山頭火は2年と少し、この一ツ橋図書館の勤めを全うした。職務のかたわら大いに読書にもいそしんでいる。一箇所に落ち着けない習性の彼にとって、長いといえば長い、比較的安定した時期であった筈だが、本来いそしむべき句作には戻り得ていない。

熊本に置き去りにされたサキノも、実家の干渉から無理矢理離婚させられたとはい
え、ひとり息子の健を育てながら、山頭火のはじめた「雅楽多」の店を守り続けており、彼らの間に格別の事情の変化はなかったようである。

山頭火の友人らをして、「美しい非のうちどころのない人」と言わしめた妻であってみれば、山頭火の内に潜む欠落感は、この良妻賢母型のサキノを前にしては、却って不安を募らせ苛立たせるほうへ、退行的な行為へと駆り立ててしまう結果を招いたのかも知れない。


―表象の森― 世紀の子

レオナルド・ダ・ヴィンチが人体の陥凹を探り、屍を腑分けしたように、わたしは魂を腑分けする」

1944年1月23日、ムンクは誰にも何も告げず静かに死んだ。息を引き取ったこの日の午後も、彼はドストエフスキーの「悪霊」を読んでいた。

死の床に就いたときにみつめたもの、それは彼自身が描いた一枚のヌード画だった。ムンクはこの絵の女性を、ドストエフスキーの小説「やさしい女」の自殺したヒロインに因んでクロポトカヤと呼んでいた。

「‥ わたしは生まれたときにすでに死を経験している。ほんとうに生まれるのは、ひとはこれを死と呼ぶが、まだ先のこと。わたしたちが去るのではない、世界がわたしたちから去ってゆくのである‥‥わたしの屍は腐り、そこから花が育つだろう、わたしはそうした花のなかに生きつづける‥‥死は人生の始まり、新たな結晶化の始まりである」

この「世紀の子」が死を迎えたオスロは、このころナチス・ドイツの占領下にあった。
ナチスは一芸術家のこの静謐なる死に、麗々しく飾り立てた大祭を執り行い、彼の葬儀を徹頭徹尾国策宣伝の具と化し、蹂躙した。

若き日のムンクが最愛の母と交わした、いずれの日にかふたたび結ばれ、二度と別れることのないように、との約束を守ることまでが妨げられ、父母らの眠る墓にともに葬られることは許されなかった。


―今月の購入本―

松岡正剛「山水思想−「負」の想像力」ちくま学芸文庫
水を用いずに水の流れを想像させる枯山水の手法を「負の山水」と名づけ、その手法が展開される水墨山水画に日本文化独自の方法を見出す。雪舟「四季山水図巻」や等伯「松林図」などの作品を取り上げ、それら画人について解説。

日高敏隆「ネコはどうしてわがままか」新潮文庫
第一部は「四季のいきもの博物誌」、不思議に満ちているように見える生き物たちの行動にはそれぞれ理由がある。クジャクの男選び/カタツムリの奇妙な生活/滑空するムササビ/ネコはどうしてわがままか/など、その秘密を解くプロセスも興味深い。第二部は「いきもの」もしょせんは人間じゃないの!?。すねる/きどる/落ちこむ/迷う/待つ/など、人間のちょっとした行動を動物行動学から見たら。

島尾敏雄「出発は遂に訪れず」新潮文庫
表題作の他、島の果て/単独旅行者/夢の中での日常/兆/帰巣者の憂鬱/廃址/帰魂譚/マヤと一緒に、を収録

スピノザ「エチカ−倫理学 -上-」「々 -下-」岩波文庫
典型的な汎神論と決定論のうえに立って万象を永遠の相のもとに眺め、人間の行動と感情を嘆かず笑わず嘲らず、ただひたすら理解しようと努めた。ドイツ観念論体系成立の、また唯物論的世界観の先駆的思想。中古書

島尾敏雄「幼年期 - 島尾敏雄初期作品集」弓立社
70部の私家版「幼年期」が作られ、贈本として当時の知友たちに配られたのは、昭和18年9月末に九州大学を繰上げ卒業して海軍予備学生に志願する、その年の春である。これを原形にいくつか増補され徳間書店版「幼年期」が成ったのが昭和42年、本書は巻末の大平ミオとの「戦中往復書簡」ほか諸々の小篇がさらに付され昭和48年に出版された。中古書

広河隆一編「DAYS JAPAN -災害と生命-2008/07」


―図書館からの借本―

・石井達朗「身体の臨界点」青弓社
シャーマニズム儀礼、ヨーロッパの道化芸、バリ島の民俗舞踊、日本が生んだ舞踏、そして内外のコンテンポラリーダンスなど、領域を横断して多元文化的な位相をもつ身体表現を多様な文脈とリンクさせ「発話する身体」を問う論考。

・S.プリドー「ムンク伝」みすず書房
わたしの絵は告白である。絵を通じて、わたしは世界との関わりを明らかにしようと試みる。19世紀末、虚無と頽廃の空気に覆われた時代、最愛の母の死、強い絆で結ばれた姉の喪失、妹にとりついた精神の病、貧困、宗教の束縛‥家族を襲い、人生を導く不気味な力に、ムンクは終生怯えていた。

・I.プリゴジン「確実性の終焉 -時間と量子論,二つのパラドクスの解決-」みすず書房
プリゴジンの「存在から発展へ」「混沌からの秩序」を継ぐ本書が指し示すのは、非平衡過程の物理学と不安定系の動力学に基づき、揺らぎやカオスを導入することによって、自然法則の新しい定式化が果たされるということである。そこでは自然の基本的レベルにおいて、時間の流れが導入され、確実性ではなく可能性が、進化発展しつつある宇宙が記述されるに至る。

・川島博之「世界の食料生産とバイオマスエネルギー-2050年の展望-」東京大学出版会
世界の食料生産、供給、貿易などの現状を、FAOや世界銀行のデータに基づいて網羅的に分析。食との競合が危惧されているバイオマスエネルギーや、食料生産が環境に与える影響についても言及しつ、2050年の食料と環境を展望。

日高敏隆「動物と人間の世界認識-イリュージョンなしに世界は見えない-」筑摩書房
昆虫たちは彼らの見ている世界を真実と思っているだろう。われわれ人間はわれわれの見ている世界を真実だと思っている。これは昆虫と人間が、それぞれのイリュージョンによって認知しているということだ。われわれに客観的というものは存在しないし、われわれの認知する世界のどれが真実であるか、と問うことは意味がない。ではいったいわれわれは何をしているのだと問われたら、それは何かを探り考えて、新しいイリュージョンを得ることを楽しんでいる、ということに尽きる。

・「吉本隆明が語る戦後55年-1-60年安保闘争と「試行」創刊前後」三交社
以下、「-2-戦後文学と言語表現論」「-3-共同幻想・民俗・前古代」「-4-フーコーの考え方」「-8-マス・イメージと大衆文化/ハイ・イメージと超資本主義」「-9-天皇制と日本人」「-10-わが少年時代と少年期」「-11-詩的創造の世界」「-別巻-高度資本主義国家-国家を超える場所」

このシリーズの中心となるのは、95-98年にかけて、山本哲士らが「週刊読書人」にておこなったインタビュー。標題のごとく吉本隆明が戦後50年を契機に、自らの思想の営みと戦後史を照合しながら総括するとなれば興味深い企画ではあろうが、「吉本隆明研究会」を標榜する山本哲士らは、そのインタビュー素材を水増し、僅か150頁足らずの並製で1冊2000円もの嗜好品を12冊も拵え上げてしまっている。


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