宵の内はらはらとせし月の雲

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−05

   上のたよりにあがる米の直 

  宵の内はらはらとせし月の雲  芭蕉

次男曰く、初折ノ表五句目、最初の月の定座である。
月は兼三秋の季語だが、無月-八月十五夜の曇り月-という季語がある以上、「月の雲」は仲秋名月の傍題と考えるべきだ。

くもれる十五夜を、
「月見れば影なく雲につつまれて今宵ならずば闇に見えまし」–山家集-
という西行の歌がある。

作物の出来は天候に左右される。相場の不定・変動に着眼して「月の雲」を取り出し、さらに「宵の内はらはらとせし」と被せたのは、手練にとってはたいして苦労もない思付だったろうが、やはりうまい。二句、人情と景を一望に収め、それぞれの明暗の情を見事に釣り合わせている。

「はらはら」は、文字通り「はらはら」か、「ばらばら」かそれとも「ぱらぱら」か、いずれでもよいというわけにはゆかぬが、同じことは元禄7年9月19日、難波の其柳邸夜会での挨拶吟、
「秋もはやはらつく雨に月の形-なり-」、にもいえる。

どちらも不安心理という点では「はらはら」雨、「はらつく」雨がよいと思うが、かたや死の直前の発句、かたや「炭俵」という擬態-声-語に一興をもとめた撰集の句であるから、同じに解するわけにゆかぬかもしれない。前句に「米」とあれば「ぱらぱら」かもしれぬ。「のつと」「雉子-のつとり-」と同じ式の連想である、と。


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