上のたよりにあがる米の直

Db070509t036

―世間虚仮― 厄日‥?

今日から大暑、その名に恥じず、暑い、暑い、とにかく暑い。

子どもにとってはなにもかも初めて尽しの夏休み。
今日から始まる朝のラジオ体操に出かけてみたが、広いグランドにパラパラと5.60名程度か。
朝のこの時間帯はさすがにまだ過ごしやすいし、ちょっとした運動になるから、朝の食事にもいいのだが、
子どもにとっては、同じ一年生などの顔見知りとて見かけなかったようで、これでは日課にするのも少しばかり心許ないかと思われた。

うだるような暑さの昼日中をやり過ごしたと思ったら、災厄はその矢先にやってきた。
いつも火曜日の午後は、子どもをピアノ教室に送り届けるのだが、自転車で行けばよいものを、このところの暑さで車通いになっていたのだ。
いつもなら、レッスンの終るのを、半分ほどは路駐の車の中で、あとの半分ほどを教室内で待つたりするのだが、暑さ呆けの所為か今日はずっと教室内で過ごしたのである。

レッスンを終えて、二人して外へ出てみれば、なんと停めていた車がない!
レッカー車で御用と相成っていたのだ、‥たく、もう‥コトバもない‥嗚呼、嗚呼。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−04

  家普請を春のてすきにとり付て 

   上のたよりにあがる米の直  芭蕉

上-かみ-、米の直-ね-値段

次男曰く、花月の規範は春秋にあるから、歌仙式では二花三月のほかに一巻中一度だけ素春を許しているが、春興行の場合、発句以下三句を素春に作る事例が多く、この巻もそれである。実は、常套と見えるこの発端が、後に意外な工夫・趣向を生むことになるが、改めて説く。

句は、前を威勢の良い棟上げとみて、「上-方-のたよりにあがる」と付けている。「米」は棟上餅の縁である。重ねて遣った「上、あがる」が少々煩い気がしないでもないが、祝餅は紅白だと考えればそれも亦よし、前句の含をめでたごとあっての普請と読取った付と考えてもよい。

場を山家から町家に引移して、第三の句の転意の成就としている。大坂の蔵元淀屋の米市-堂島米相場の前身-あたりのことだが、こういう素材を持出したのは、相手が両替屋越後屋の手代だということと無関係ではない。

因みに、越後屋が江戸の本両替仲間に加入したのは元禄2年、大坂高麗端にも店を開設したのは翌3年8月から4年2月にかけてのことで、もともと公金為替制度を幕府に献策したのは三井高利である。

諸注「上とは都がたなり。米の直の昂るは農家のよろこび也」-露伴-、「農家に取っては嬉しく喜ばしい世相に転じたものであって、二句一連の間からは、活気に満ちた喜悦の情趣が十分に酌み取られる」-能勢朝次-などと云うが、
幕藩体制下、米価が上ってもただちに農家が潤ったわけではない。また、大坂堂島で帳合米の取引が公許されたのは享保15(1730)年、米会所が開設されたのは更に下って明和8(1771)年のことである、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。