ひたといひ出すお袋の事

Alti200620

―表象の森― 中国の山水、日本の山水

<A thinking reed> 松岡正剛「山水思想」−「負」の想像力より:承前

・山水タオイズム−逸民としての/道先仏後の思想−2世紀後半、後漢桓帝時代、西域からの仏教伝来が動因となり、道が先で仏は後と、老子を釈迦に対抗させた/太平道の出現−黄巾の乱/逸民-官僚社会からの隠遁者たち-の山水臥遊−魏晋南北朝の時代、黄河流域に安住してきた漢民族が大挙して長江を渡り、江南の地に移動していった/王羲之の蘭亭の会、流觴曲水の宴−5世紀初頭の陶淵明と宗炳

・北の三遠、南の辺角−全景と分景/李成に勃興する華北山水画と、顧緂之を嚆矢とする江南山水画−また李思訓にはじまる北宗画と、王維にはじまる南宋画−王維の「皴法」−濃淡肥痩の線描、後に18の法に分化する/「水暈墨章」/「破墨」と「溌墨」の用法−破墨とは、「淡墨で淡墨を破る」と「濃墨によって淡墨を破る」の両あり、溌墨は、墨を注いで一気に仕上げる法/鉤勒体-コウロクタイ-と没骨体-モッコツタイ-へと受け継がれる

/北の三遠−全景山水−高遠、平遠、深遠の三遠近法を必要に応じ同一画面に採用/南の辺角−全景から点景へ、余白の重視−「馬夏の辺角」−馬遠の一角と夏珪の半辺

而今の山水、山水一如/道元「正法愿蔵」第二十九「山水経」に曰く、「而今の山水は、古仏の道、現成なり。空劫巳前の消息なるがゆへに、而今の活計なり」−世界の中に山水があるのではない、山水の中に世界があるのだ。山と水は古今を超えて現成し、そこに時間を超えた存在を暗示する

枯山水の発見−昔より王朝の襲の色目に「枯野」があったように、枯れる・涸れる・離れるなどの負の相に「余情」や「幽玄」の美意識を育ててきた感性が、涸れることによって水を得る「負の庭」を創出せしめた/雪舟から等伯への、日本の水墨山水の道程は、この枯山水を媒介にしてみたとき明らかとなる

・無常と山水/中村元「日本人の思惟方法」に「無常観。それは一途であって、すこぶる多様なものだったと、まずはおもうべきである」と/「山川草木悉皆成仏」、天台本覚思想が無常の肯定を陰に陽にもたらした/源信の「往生要集」、良源の「草木発心修行成仏」/常ならずとは常あることの否定ではない、否定ではなくむしろ非定の相にあろう、そのような消息をどう動かして表出するかということが探し求められたのではないか−世阿弥の「せぬ隙」、「想像の負」とてもいうべき世界を



<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−12

  預けたるみそとりにやる向河岸 

   ひたといひ出すお袋の事  芭蕉

次男曰く、「みそ」と「お袋」を気分の寄合とした其人の付だが、自分もまた母親から味噌とりにやらされたものだと、旧事をとつぜん思い出したふうに作っている。

打越句が「ことしは」と謎を掛ければ、前句は「預けたる」と思い出し、三句目が「ひたと」と口に出す。「ひたと」は出し抜けに、かつ一途に、である。追憶をたねにしてうまく実情を引出している。当人が自分で味噌を取りに行ってはこうは運べない。「とりにやる」が起情を促すための持成になっている、とよくわかるだろう。

諸注、亡母年忌の用に味噌とりに行った、という見立解釈が多い。味噌とお袋は寄合だから連想はおのずとその辺に落着こうが、それは余情であって、この押せ押せの掛合に説話などとくに必要とはしない。連句解釈に見立を濫用したがるのは詞の興を見失うからだ、と。


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