終宵尼の持病を押へける

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―四方のたより― イシダトウショウのベケットを観た

地下鉄花園町の最寄り、昼輭はカフェの小さなイベント空間があると、デカルコ・マリィから聴いていた。

そこで偶々、CASOのイベントでお近づきになったイシダトウショウ君がS.ベケットの芝居をするというので、これを機にスペースの見聞も兼ねて観に出かけた。

会場のカフェ+ギャラリー「can tutku」は駅から26号線を南へ300?ほど歩いた西側で、国道に面しているし、迷うこともなく行き着いた。舞台としての使用可能スペースは3間四方ほど、客席と合せて奥に長い空間は、多少観にくいきらいはあろうが、ちょっとしたイベントにはわるくない空間。本番の始まる頃には30名ほど入って、ほぼ満席状態。

トウショウ君曰くS.ベケットの「オハイオ即興劇」と「追放者」をジョイントさせているという芝居は、モノローグにはじまりモノローグにおわる。他の二人の出演者は、無言のままに初めから終りまで舞台に在りつづける魔瑠と、後半部で舞う人として登場するデカルコ・マリィ、いずれも言葉を発することはない。音は民俗楽器のパーカッションを中心にした田中康之。

ノローグとして紡がれる言葉は、同語反復の如く行きつ戻りつ、まるで果てしなく螺旋階段を昇りゆくように繰り返され、その先端は言い淀み、無言の空白が生まれる。意味論的にはなにほどのこともない恣意的な綴られようだが、言い淀んだ先の沈黙には、無意識の穿たれた穴の如きものがぽっかりと姿をあらわす。その断絶ともいうべき穴がめぐりくるたび、どんどん底知れぬほどに大きくなっていく、といった感がある。無言の空白、そこに否応なく浮かびあがってくる得体の知れぬ大きな深い穴‥、これは心象風景などといった類のものなんかではない、「語るべきことはほとんど残されていない」といったベケットの、世界の捉まえ方の帰着するところだ。そのあたり役者の解釈の、また想いの深さゆえだろう。

そういったモノローグの世界に、音が音として入り込んでいくことは非常に難しい。音を奏でる人は、どうしてもその音の連なりで、空間と時間を満たしていきたいと思いがちなもので、たとえ逆に時空を切断しようと、意識的にその誘惑に抗おうとしてもなかなか抗いきれるものではない。そこでモノローグと音の世界は離反し、二つして協働の表象世界は加法ではなく減縮の方向へと雲散してゆくのだ。惜しい‥。

芝居を一緒に観た連合い殿の学生時代の演劇仲間であった友M.A嬢と、帰りの道すがら居酒屋に立ち寄りしばし歓談。そう、彼女はまだ嬢と付けなければならないのである。昨年の一年間は、月平均300時間働いたという、そんな苛酷な勤務状態の職場に、卒業以来すでに16年か、ずっと居つづけている。

何年ぶりだったか、ずいぶん久しぶりに逢ったので、この際、大いに叱りつけておいた。たった一つの自分自身の人生、そんなことで棒にふる気か、という訳だ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−13

   ひたといひ出すお袋の事 

  終宵尼の持病を押へける  野坡

終宵-よもすがら-

次男曰く、挿話の一つも工夫して場面の転換をはかるなら、虚実掛合の呼吸が極限にまできた、こういう箇所である。押せ押せではこんだ果ての趣向だ、ということがたぶん句案の根にあるだろう。

前句の人を、乗合船か相宿か、居合せた老尼の癪を押えてやる男、と見定めて付けている。

句眼は、「ひたといひ出す」を承けて「終宵」と取出したところだ。癪押えを男が買って出たのは、母親の同病を押え慣れた経験からのことで、その段階ではまだ男に孝養心が萌しているわけではない。尼を押えているうちに、次第に母親への慕情が募ってくるさまに作っている。

「終宵」とは、それを余情に見せた、親不孝者の悔恨の表現と受取れる。相手が偶々尼であったことも、男にとっては母親の引合せと思われてきて、上手自慢もいつしか消えてしまい、柄にない仏心も誘われているらしい、と詠み込んでもよい。心理の変化が面白くなる。とすれば母親は、亡母と考えたがるのが普通だが、もしや音信不通の親子か。後の方が面白いかもしれぬ、と。


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