こちにもいれどから臼をかす

080209021

―世間虚仮― 盆の風

お盆である。
私は私で、連合い殿もまた子どもを引き連れて、おのおの実家へとお参りだ。
私のほうは朝からだから、早々と昼過ぎにはご帰還。彼女たちは午後から出かけたから帰りは夜の食事をお招ばれしてからだろう。
さすがに、この頃ともなると、暑さは相変わらずとしても、ベランダからの風が吹き抜けてくれて、いくぶんかしのぎやすい。
そろそろ、暑気呆けから脱したいものだが‥。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−22

  江戸の左右むかひの亭主登られて 

   こちにもいれどから臼をかす  野坡

次男曰く、「亭主」から情を起して、妻女同士のやりとりに執成したところがうまい。この執成の作りにはたぶん芭蕉も加担しているだろう。

しばらくぶりに亭主が帰ってきたとあって、向い家の妻女が唐臼を借りにくる。こちらでも要るが先にお使いなさい、という女の口裏には当然のこと男を肴にした互のさぐりあい、噂が覗く。二句一意に読むと、向の亭主の江戸行は単なる商用ばかりでもなかったらしい、というところまで想像は伸びる。

唐臼は臼の本体を埋込にし、杵の端を踏んで搗く仕掛だが、読解の鍵はこの据付臼を持出した含にある。ちょっと貸してやったと思いなさい。結局あなたの許へ戻ってくるんだから、というくすぐりの付である。江戸と京に男が二人妻をもっていると考えれば、あなた-京女-のほうが正妻だから気にするな、ということになる。この場合、逆に、事実は京都妻のほうが妾であれば、「-本妻-から臼をかす」つもりでいろというくすぐりはいっそう面白く利く。

呉服商から身を起した越後屋の西の拠点はむろん京都で、貞享3年以後は本拠を京に移している。両替店手代の江戸−上方の往復は頻繁だった。句は唐臼を備えた旧家らしい家と、その向の小家とを対照的に取出し、仮住居の風情もみえる。かりにそれを野坡の京宿とみればそこの女あるじとの関係も想像できよう。芭蕉は実状を知っていて、野坡をからかっているのかもしれぬ。

因みに、この興行の「亭主」役は野坡で、「から臼をかす」作りも亦野坡だ、という付合もはこびの理に適っている、と。


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