方々に十夜の内のかねの音

Alti200601024

―世間虚仮― 駆引き上手?

十三夜の月が近くのマンションの屋上から顔を覗かせ、やがてその全容をあらわした頃、TVでは女子柔道78?超級の決勝が始まっていた。

塚田真希対中国のトウブン、試合を終始リードし最後まで積極果敢に攻めた塚田は、終了まぎわ、トウブンの背負投を喰らって逆転、一本負けとなったけれど、彼女の勝負魂は相手を圧倒して迸り、見ていて清々しくも胸撃たれるものがあった。
いわば勝負に勝って試合に負けた感。

とかく中国や韓国の選手は、よくいえば試合巧者、ルールすれすれの駆引きが目立つ。
一昨日だったか、バドミントン女子ダブルス、世界ランクトップの中国ペアを破った末綱・前田コンビが臨んだ準決勝戦、韓国の李孝貞・李敬元は、執拗なまでに審判にクレームをつけては試合を中断させ、相手のリズムを攪乱させる戦法を取っていたかに見えた。

塚田の相手トウブンは、故意に帯を緩めに締めているものとみえ、待てがかかるとそのたびにおもむろに帯を締め直す。これで自身の息を調えつつ、試合運びのリズムを仕切り直しているのだが、時間のかかること夥しく、さすがに正審も業を煮やしていたかに見えるほどだった。
そしてもう一息という最後の十数秒、前へ前へと攻める塚田に一瞬背を屈めたトウブンの背負投が決まった。それ自体は見事な逆転劇ではあるが、ここに至るトウブンの試合運びには不快を禁じ得ず、あまり後味のいいものではない。

力と力、技と技とのぶつかり合い、そこに駆引きのあるは必定なれど、見るに忍びない顰蹙ものの駆引きは、やはりあるべきではないだろう。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−23

   こちにもいれどから臼をかす  

  方々に十夜の内のかねの音  芭蕉

次男曰く、十夜は陰暦十月五日夜から同十五日朝まで-今は十一月十五日まで三日三夜としているところが多い-、浄土宗の各寺で執り行う十日十夜の引声-インゼイ-念仏である。新穀祭を兼ねた行事で、寺では夜参の人に白粥をふるまい、在家でも炊いて食べる風習がある。

十夜法会は、足利義教の執権平貞経の子貞国が京都の真如堂に参籠して興したと云われ、もともと宗派行事ではなかったが、のち観誉上人が勅許を得て鎌倉光明寺で行ってからは、広く浄土宗の寺行事となった。

京都には浄土宗の寺が多い。「方々に」とはそれを云うが、十夜は十月亥の日の祝-亥の子-のころともかさなり、唐臼を借りに来る人もこの時季多かったはずだ。付の筋はそこだろう

「東風かぜに―」「たゞ居るまゝに−」以下のはこびからすれば、季を持たせるならここは夏のほうがむしろ自然だが、初裏四句目-夏-との釣合を考えたか、冬季としている。「かね」は敲き鉦で-伏鉦-である、梵鐘ではない、と。


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