桐の木高く月さゆる也

世界の食料生産とバイオマスエネルギー―2050年の展望

世界の食料生産とバイオマスエネルギー―2050年の展望

―表象の森― 食糧危機は‥?

川島博之「世界の食糧生産とバイオマスエネルギー−2050年の展望」を通読。

本書は,レスター・ブラウンの「誰が中国を養うのか」など、世界の食料危機を強調して急な風潮に対し,農作物から畜産物、水産物にいたるまで、世界各国や各地域の食料生産、供給、貿易などの現状を、FAOや世界銀行のデータなど、一次資料に基づいて網羅的かつ詳細に分析し、2050年に至る食料生産と近頃話題のバイオマスエネルギーの展望を提示するもので、性急な誤解や偏向を解いてくれる啓蒙書といえようか。

なるほど、世界の食糧生産事情に関して、これほどご丁寧に個別に客観的数値を網羅してくれれば、たしかに此方の蒙昧は少なからず霽れようし、お勉強にもなる。その意味ではタメになるし、一読に値しよう。

だが、国別あるいは世界地域別の客観事情は、あまりに不均衡、あまりに偏向しているのも、また列挙された数値が示すとおりであり、傍らそれらの事実に暗澹とさせられもする。

どうやら、問題の本質は、本書のいうように、世界の食料事情を俯瞰しつつ、各国がそれぞれ合理的に判断すれば、食糧危機は回避できる、起こり得ないというわけではなく、危機は、おそらく食糧問題とは別次のところからやってくる、ということだ。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−24

  方々に十夜の内のかねの音  

   桐の木高く月さゆる也  野坡

次男曰く、「八月九月正に長き夜、千声万声了む時無し」、「夜、砧を聞く」と題する白楽天の有名な詩句である。

十月なら、砧ならぬ、「方々に」聞こえるのは引声念仏だという見定めがまず面白く、砧も鉦も伏せて叩くところが思付のみそである。付けて、「高く」は当然だろう。

また、これを月の座に取合せれば「月さゆる」-冬-になる。砧は秋月の付物、「冴ゆる」は連・俳共に兼三冬の季に扱う。至極自然なと云えば云える連想のはたらきだが、それは「月さゆる」と遣われてみて気のつくことで、誰でもが簡単に思いつくことではない。芭蕉も野坡の手柄を認めたろう。名残の月を定座-十一句目-からわざわざ五句も引上げ、一歌仙中、短歌を以てする月の座二ヶ所という異例を許している。

十夜行事も、宵月を過ぎて今や酣。「方々に」−「高く」と、横を縦にする体に継いだのも見合だが、この二句一意の作りの面白さは白楽天の詩句を前提にしてのことで、うまい季の深め方をするものだ、と。

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