未進の高のはてぬ算用

Alti200601039


Information<四方館 Dance Cafe>

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−34

  千どり啼一夜々々に寒うなり  

   未進の高のはてぬ算用   芭蕉

未進-みしん-の高-たか-

次男曰く、「一夜々々に寒うなり」とは、寒さはこれから本番になるということだ。移して、年の暮の繁忙も同じと付けている。

旅帰りと補って読めば滞りものの情はいっそうよく現れるが、必ずしも前の話の続と考える必要もない。掛合の相手が両替商越後屋の手代だという当座に即せば、暮の忙しさは格別であるから、算盤片手の俳諧三昧はさぞ朋輩にも気兼ねだろう-埋合せに残業するか-、という同情の滑稽がむしろ作意の本筋だ。

句は一応、未済上納金の計算に野坡らしき人物が頭を抱えている図と眺めてよいが、「未進の高」はそれだけではない。この両吟興行の性格にも、芭蕉個人の情にもある。

元禄7年4月、孤屋・芭蕉・岱水・利牛の四吟「空豆の巻」は、名残七・八句目を「今のまに雪の厚さを指-さし-てみる−孤屋」「年貢すんだとほめられにけり−芭蕉」とはこんでいる。「千どり啼一夜々々に寒うなり」「未進の高のはてぬ算用」の付合は、後の方を「年貢すんだとほめられにけり」と差替えてもそれなりの面白さになる。なるが、「梅が香の巻」はそれより3ヶ月前、主撰者を相手取った差-さし-の興行である。まかり間違っても俳諧師は、「年貢済んだ」などと世辞を言わなかった。「未進」と遣ったいましめの意味がよくわかるだろう。「空豆の巻」は、芭蕉が指導した三歌仙のうち、孤屋を正客-発句-とした終興行の趣向で、芭蕉の出立は5月11日である。

一方、4年冬、2年と7ヶ月ぶりに江戸に戻った俳諧師は、さっそく「栖去の弁」を書いている。

「ここかしこうかれありきて、橘町といふところに冬ごもりして睦月・きさらぎになりぬ。風雅もよしや是までにして、口をとぢむとすれば風情胸中をさそひて、物のちらめくや風雅の魔心なるべし。なほ放下して栖を去、腰にただ百銭をたくはへてしゅ杖一鉢に命を結ぶ。なし得たり、風情終-つひ-に菰をかぶらんとは」-元禄5年2月-。

そういう男が越後屋手代の算盤を借りて、胸中はてしない己の表白の思を指頭にはじけば、そこにも亦「未進」の持つもう一つの貌が現れてくる。蓋し、一巻中白眉の付である、と。


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