隣へも知らせず嫁をつれて来て

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Information<四方館 Dance Cafe>

―世間虚仮― ベン・ジョンソンからウサイン・ボルト

いまや旧聞に属する北京五輪の話題。
ウサイン・ボルトを筆頭に、強烈な印象を残したジャマイカ選手らの疾走ぶり。
陸上の短距離といえばこれまではアメリカの独壇場だった筈だが、これで完全に様変わりしたようである。

ジャマイカと云えばレゲェくらいしか念頭に及ばなかった私だが、彼らの圧倒的な五輪の活躍で、カリブ海に浮かぶこの島国に新たに強烈な印象が加えられた。
面積はほぼ11,000㎢、日本の秋田県ひとつにも及ばぬ広さだというその島に270万人が住むというこの国の人々が、どうしてこれほど図抜けた身体能力を発揮しうるのか。

国民の90%はアフリカ系黒人というジャマイカは、コロンブスの新大陸発見以来、スペイン支配となり、その後1670年のマドリード条約でイギリス領となって、1962年の連邦内独立を果たすまでその支配下にあった。

連邦内独立とは、名目上の国家元首はいまなおイギリス国王であり、実権とその職務は総督が代行するもので、この総督職は、行政府の長たる首相の推薦に基づきイギリス国王が任命する、ということらしい。

スペイン支配時代から、プランテーションの労働力としてもっぱら西アフリカから黒人奴隷として大挙渡ってきたその子孫たちが彼ら国民の大半であってみれば、今回の五輪で発揮された身体能力の高さも肯けるものがあるが‥。

現代のディアスポラともいえるジャマイカ離散という話題もまだ耳新しい。過去数十年に100万人近い人々が、イギリスやアメリカ、カナダに移住してきた。ソウル五輪だったか、ドーピング事件で金メダルを剥奪されたあのベン・ジョンソンもジャマイカ生れだし、陸上で世界的に活躍した短距離ランナーにジャマイカからの移住組は多かったらしい。

ところが、近年は観光以外の産業も発展しGNIも伸びてきて比較的国力は安定、人材の海外流出はずいぶんと抑制されてきている。
スポーツではサッカーも盛んだが、とりわけ「スプリント工場」といわれるように、義務教育からの徹底した訓練でボルトのようなスプリンターを輩出、短距離界では無類の強さを誇るようになっていたのが、こんどの北京五輪で劇的なまでに世界中に知れわたったというわけだ。

嘗ての貧困は、ベン・ジョンソンに象徴されるように特異な才能も海外流出してしまい他国のヒーローとなって成功譚を紡いだものだが、相対的な貧困からの脱出は、国内にあって才能の開花を促し育み、世界に冠たる自国のヒーローたちを誕生せしめ、すべての国民に活力を与え夢を紡がせる。

北京五輪は、中国の金メダル獲得が世界を圧倒したが、これはあまりにもカネにあかした大国主義、覇権への意志が見え透いてシラケきってしまうけれど、小さな島の人口わずか270万の小国のスプリンターたちが、大国アメリカの強者を尻目に颯爽と駆け抜ける姿には、こちらもついつい誘われて快哉の声をあげたくなったものだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−35

   未進の高のはてぬ算用  

  隣へも知らせず嫁をつれて来て  野坡

次男曰く、挙句前、名残の花の定座である。

一巻月花の座のうちとりわけ安定した所と目され、うごかすことはあまりない。ましてや、裏から表に移し替えた例など希にしか見かけぬが、この巻の趣向については名残ノ表十一句目でも既に説いた。亭主-野坡-の映の座を敢えてとりあげた客-芭蕉-の狙いは、この両吟興行の性格にふさわしい真-まこと-の花、亭主自らの跡目の工夫を見たい、聞きたいということに違いない。

「花嫁」は雑の正花に執成せるが、「嫁」とだけでは花にならぬ。だが花の定座に扱えば嫁は花嫁を匂わせる含になる。つまり仮祝言だというのが思付のうまさである。

「未進」に「知らせず」と詞の釣合を取り、人みな忙しい歳末の最中に婚礼沙汰でもないから披露は年も改ってから行う、と読取せるように作っている。尤も、「隣へも知らせず」とあれば、春隣の含はそれとして利かせながら、花嫁姿-「炭俵」の出来-を見てもらう時期についてはまだ確言はしかねる、と慎重に構えた物腰である、と。


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