宣旨かしこく釵を鋳る

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INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―世間虚仮― Soulful days -12- 

事故当夜からRYOUKOの死に至るまで、そして現在に至るも、我々家族と直々に顔を合わすことのなかった相手方運転手に怒りの書面を送り付けたのは、葬儀も終えて1週間が経った9月23日であった。

この1日、その書面に対する返書が当人及び父母の連署で届いた。日付は9月29日となっている。直ちに応ずるのは難しかったか、書面では父親が出張中だったため遅れた由。伯父甥の会社とみたのは事故当夜の身元引受人が伯父夫婦と聞かされた所為だが、なんと親子の会社であった。

書面から類推すればその父親殿、いかにも俗的な紳士然とした真面目な人であろう。だが生死を分かつ事故という関係者にとってはいわば非常事態のなかで、紳士然と鷹揚に良心ある真面目な姿勢を謳ってくれても、それは偽善に過ぎようもの。真心とか誠意とかは綺麗ごとじゃない、ディレンマに引き裂かれた感情の迸りだ。当事者ともあればなりふり構わぬ自身の曝け出しようが、人の心を撃つのだ、ということがお判りにならぬ。

以下は、私からの返書。


前略
事故当事者である息子K氏に代わり父A氏が書かれていると思われる書面、昨日受領、読ませていただきましたが、その内容は、これが被害者遺族宛の書面かと奇異に感じるばかりで、いかにも面妖なといった思いに包まれております。

私は先の書面において、当夜の事故発生状況についてなんら予断めいたことは申しておりませんが、貴方はこの短い書面でなぜ二度にわたっても、「MKタクシーの運転手が進路上で突然、停車した」と、K氏の主張と推測される一方的な予断的事実に触れておられるのでしょう。これがなにより先ず奇異に感じられてなりません。

事故の発生状況については、数日後、府警科学捜査班の手で詳細に現場検証をしたとも聞き及び、いずれ相応の客観的事実関係が明らかになってまいりましょうから、「甲-MKタクシーの車-が右折途中、突然停車した」のか、また「乙-K氏の車-が急ブレーキをかけたのか、あるいは、かけ得なかったのか」などの事実関係の判断は、あくまでこれを待つのみです。

さらに、私の書面で初めて住所を知り得、この書面を送っていただいたようでありますが、貴方がたはいまだ当該事故の被害者であった娘RYOUKOの現住所について、まったくご存じでなかったらしいという事実、この無関心さはいったいどうしたことでしょうか。

ここで敢えて申し上げておきますが、私と娘は同居いたしておりません。娘は母親と二人で暮らしておりました。さらに付けくわえれば、当夜の事故現場は、その自宅を出て直近の場所であります。

もうひとつ、事実関係の誤認錯綜について、「翌日、容態についてお電話でお聞きし、その際に『明日は3〜4時には病院に行く』と」ありますが、「明日」ではなく、その日-9/10-のことです。
また、MKタクシーの運転手には怪我がなかったとのご認識のようですが、これも事実とは異なりますから確認をされたほうがよろしいかと思います。

この日、たしかに私は予定より遅れ、病院に着いたのは午後4時頃でしたが、ずっと先に母親は来ておりました。またMKタクシーの関係者も2名、午後3時頃からずっと居られたようでしたから、未だ面識のない母親はともかく、MKの関係者は前夜の病院でちらりと会っておられる筈、なぜ接触を図られなかったのか、午後4時頃に病院を出られたのなら、接触の機会はいくらもあった筈で、そうすれば母親とも会うことができたやもしれません。

要するに言いたいことは、娘RYOUKOが生死の境にあって集中治療室にある以上、なによりも先ずその家族と接触を図り、それが貴方がたにとってどんなに不条理で耐え難いことであるにせよ、直々に謝意を伝え、相手の心の傷みや苦しみを正面から受け止めようとなさるのが喫緊のことと思われますが、この日その機を逸したまま、以後貴方がたは、私にさえ連絡をしてこようとはなさらなかったのです。この事実は私の思慮を越えたもので、貴方がたの心意は図りがたく、どうしても誠意あるものと思われません。

書面では、貴方がたにおいて、娘RYOUKOの回復祈願あるいは供養をなさってこられた、と縷々書かれておりますが、それらの行為はいったい誰が為の祈願であり供養でありましょうか。なによりも貴方がた自身の為の、貴方がた自身の心の呵責を癒すための行為ではありませんか。そのかぎりにおいて、われわれ家族の、われわれ遺族の、痛みや哀しみとはけっして交じりあえぬ、貴方がたの自慰行為にひとしいものに過ぎないこと、と私に映るのは致し方ありますまい。

事故当夜以来、これらの経緯において、私の脳裏からどうしても消え去らぬ疑念は、和之氏並びにご両親にあっては、事故発生の当事者及びその家族でありながら、自身の呵責からいささかなりと逃れるため、その原因は一方的に相手方にあり、自らはどうしても避けえぬ、過失なき不可抗力であったと信じ、自身らもまた被害者であると思い込もうとするあまり、第三者たる双方の被害者である娘・僚子とその家族の存在を、こうして軽んじてこられたのではないか、ということです。

私が、あえて怒りを込めた激しい調子で先の書面を綴った、その真意の矛先が、いったい貴方がたのなにを衝こうとしていたのか、それがこのままお判りにならないようでは、遺族として仏へのお参りもとても許容できるようにはなりますまい。

この書面に対し、貴方がたが如何様に応じられるのかは慮外のかぎりですが、けっして交じりえぬものならば、それもまた止むを得ず、ひたすら平行線のまま歩むしかないものか、との思いをあらためて強くしております。
  2008.10.02 /林田鉄、記


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−20

  白燕濁らぬ水に羽を洗ひ  

   宣旨かしこく釵を鋳る  重五

釵-かんざし-を鋳-い-る
次男曰く、「本草綱目」の釈名を承け、瑞祥どおりの美姫をどこぞに索-もと-め得た、と作っている。あるいは皇女誕生の、日を経て世にも稀な麗質を現してきたことを喜んでいるとも読める。

句の作りは、玉燕釵の故事なども踏まえているのだろう。「神女、玉釵ヲ留メテ以テ漢ノ武帝ニ贈ル。帝、趙祜礱ニ賜フ。昭帝ノ時、匣ヲ発ケバ、白燕有リテ、飛ビテ天ニ昇ル。後宮ノ人、学ンデ釵ヲ作リ、因ツテ玉燕釵ト名ヅク」-洞冥記-。

露伴は、鋳型のまま水に入れ型を破り、水洗いして釵の仕上がりを検視する工人の手つきに目をつけ、「白燕濁らぬ水に羽を洗ひの句を、その景色に取做して、宣旨かしこく釵を鋳るとしたる、重五が此の一転甚だ驚くべく」と賞める。云われてみれば詩もあり、露伴の面目躍如とした一解ではある、と。


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