なかだちそむる七夕のつま

Alti200601021

INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―四方のたより― 心機一転

観客といっても30名弱ばかり、そんなささやかな会といえど会は会、
先週のDanceCafeも一つの上演機会とあれば、その経験は人それぞれに見逃せない効をもつ筈である。
ましてや今回はまだ13歳になったばかりのARISAが初めてのことだったから、その効を如何ように引き出すかは、一週間ぶりに集った稽古の要になると思ってはいた。

そこでworkshopはSoloの即興に拘ることにした。4人それぞれに3分から〜5分程、3度廻って要した時間が1時間半余り。
無論、その度にちょっとしたcommentやadviceをするのだが、2度目、3度目と、ARISAの気力は見ちがえるばかりに充実し、変身していった。
なにしろ3歳から叩き込まれてきたBallet Technicはすでに一定のレベルに達している身体である。その佳麗な動きに、気を充填させていくこと、自らの表現としての意識を通していくこと、そのとば口に、この日の彼女は完全に立ったと見えた。われわれの即興の世界に、この四方館の方法論に、13歳の少女ARISAは明らかな意志をもって参入してきたのである。
いささか大仰に聞こえようが、私の40年にあまるキャリアは、Classic Balletの世界とはどこまでも無縁であったから、それを思えば、この出来事はとんでもないような記憶に残るべき事件といってもいいだろう。

AYAもまた徐々にだがたしかな成長を見せてきている。
AYAの場合はとにかく感性がいい。柔軟な骨格や体型に恵まれてはいないのだが、俗に健全な肉体に健全な精神が宿るとはいうものの、柔軟な身体と柔軟な心とが必ずしも比例している訳ではないらしく、彼女の心や感性はその身体に比してすこぶる柔軟性に富んでいる一面がある。また他方でAYA独特の拘りようもあるようで、そのBalanceが独自の世界を生み出しうる根拠となるような気がするのである。

この日、ARISAの変身ぶりにもっともvividに反応し、変化をみせたのがJUNKOであった。この現象にも大いに驚かされたものだが、省みれば頷ける一面もありそうだとも思えた。
JUNKOはいささか分裂気質というか、感性と論理のあいだに壁または断絶があるようにもみえ、自身の感覚−意識−論理といった階梯がなかなかうまく繋がらない。いわゆる統覚性というか、そういったものが脆弱と覗えるところがある。いまのところいかにも抽象的にしかいえないが、どうやらこの日のARISAの出現が、彼女の統覚感覚を意識下においてかなり強く刺戟したのではないか、と受けとめている。

その統覚力があり、構成力において一応の達成レベルにあるYUKIにおいて、残された今後の課題を自覚し設定することはなかなか難しいことではあるが、私の作業仮説では呼吸の深化において他にあるまいと思っている。
ただひとくちに呼吸の深化といっても、ことはそれほど単純ではない。彼女の表象を、文芸でいうところの「萎-しおり-」や「細身-ほそみ-」といった世界へと架橋していくには、なまなかのことではないだろうが、強勢ばかりが先立ってくるYUKIの動きと構成に、いかに弱音の世界を共存、対照させていけるかということが、当面の課題なのではないだろうか。

なにはともあれこの日の稽古-workshop-は画期を為すといってもいいものであった。
これを綴りつつ、懐かしくも想い出されたのは、まだ私が四方館と名付けて立つその前夜、十数人の若い人たちとともに稽古をしながら、明らかに即興を方法の核とすることを自覚した、遠い昔の一夜のことだった。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−22

  八十年を三つ見る童母もちて  

   なかだちそむる七夕のつま  杜国

次男曰く、「なかだち」の濁点は原板本に付されたもので、珍しいことである。古註以下、これを敢えて仲絶もしくは仲隔と解しているものがあるが、媒の意味に受け取るしかあるまい。

句の写景的状況は、初秋天の川が立ち初めるころというだけのことだろうが、何が二星の仲立をするのか、それとも二星が結ばれるというそのことを云うつもりか、よくわからない。ひいては「七夕のつま」が男女いずれを指すのかもわからない。
いきおい、こういう句は解もいろいろに乱れ、一濁点さえも咎めることになるが、結局、前句の持つ含を改めて探ってみるしかなくなる。

たとえば「八十年を三つ見る」を73歳と読めば、老莱子の面影が思い合されるだろう。春秋時代の楚の賢人老莱子が、年70にして戯嬰児を装い老父母を楽しませた話は、「蒙求」の「老莱斑衣」に見え、二十四孝の一としてよく知られている。

野水が「八十年を三つ見る」と作ったのは、単なる語調ではなく、連想をそこに誘う工夫ではないかと考えたくなる。とすると、杜国の句も亦二十四孝の一人董永の故事を持ち出して、対付ふうに仕立てたように読めないか。

董永は後漢の人、老父の葬にも事欠くほど貧しかったが、天帝その孝心をあわれみ織女を遣してひと月彼の妻とした、という話は同じく「蒙求」の「董永自売」にのせる。

杜国の句が、二十四孝に思いを寄せ、老莱子と董永の故事をそこから取り出しているらしい、といってこの句が直ちに俤付かといえばそうも云えない。読む者の連想が自然にそこに誘われる、というまでである。

付筋は、一生独身で母に孝養を尽した男にせめて七夕妻を添わせたい、というところにあるのではないか。この哀歓の尽し様に目を留めれば、「三つ見る」と「なかだちそむる」との用辞の匂いにも気がつき、共に老いた母と子が銀河立ち初める空を見遣る情の深切も現れてくる、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。