雲かうばしき南京の地

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INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―表象の森― 宇目の唄げんか

大分県の豊後大野と宮崎県の延岡を結ぶ国道326号線沿の県境近く、宇目町-現・佐伯市宇目町-の北川ダムに架けられたずいぶんモダンなPC斜張橋を「唄げんか大橋」というそうだ。昔、この奥宇目のあたり、木浦鉱山での採掘が最盛期であった江戸初期の頃より唄い継がれてきたとされる子守唄「宇目の唄げんか」に因んでの名付けらしい。

この子守唄、唄げんかというからに、悪たれをつきあいながら二者掛合いの唄になって延々と続けられ、なんと22番まで採録されているが、続くほどにまこと、おもしろうてやがて哀しき、喧嘩唄である。


一、あん子面みよ目は猿まなこ ヨイヨイ
 口はわに口えんま顔 アヨーイヨーイヨー、
返 おまえ面みよぼたもち顔じゃ -以下囃し同-
   きな粉つけたら尚良かろ 
二、いらん世話やく他人の外道 
   やいちよければ親がやく 
返 いらん世話でも時々ゃやかにゃ
   親のやけない世話もある
三、わしがこうしち旅から来ちょりゃ
   旅の者じゃとにくまるる
返 憎みゃしません大事にします
   伽じゃ伽じゃと遊びます
四、寝んね寝んねと寝る子は可愛い
   起きち泣くこの面憎さ
返 起きち泣くこは田んぼにけこめ
   あがるそばからまたけこめ
五、旅んもんじゃと可愛がっちおくれ
   可愛がるりゃ親と見る
返 可愛がられてまた憎まるりゃ
   可愛がられた甲斐が無い
六、おまいどっから来たお色が黒い
   白い黒いは生まれつき
返 おまいさんのようにごきりょが良けりゃ
   五尺袖にゃ文ゃ絶えめえ


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−30

  寅の日の旦を鍛治の急起て  

   雲かうばしき南京の地  羽笠

かうばしき-香ばしき-、南京-なんきょう-の地-つち-

次男曰く、二句続いたもっともらしい嘘のあとに「寅の日」と継がれれば、「三人言えば虎を成す」諺を思い出さぬほうがおかしい。鍛冶屋が寅日に早起する風習などあろう筈がない、と容易に気づく。

杜国や野水の思付の嘘はともかく、私の嘘にはそれなりの根拠がある、ひとつ信じて探してみないか、という誘いは俳諧地の虚を実に奪ううまい工夫で、芭蕉は謎を掛けながら、答は自分でも用意していたにちがいない。それは。「戦国策」の諺にはじまり「三国志」の英雄たちに及ぶといったかたちで、一座の話題を作り上げていったのだと思う。

後漢の建安13-208-年、江南を望んだ魏の曹操はも80万の大軍を南下させて赤壁に陣を布いた。この時彼がわずか3万の兵に敗れたのは、孫権の武将たちの計に嵌められたからである。まず、黄蓋が苦肉の計を用いて内通を装い、次はその詐りの投降状を闞沢が曹操の許に届ける。そして最後に龐統が、連環の計なるものを進言する。つまり三人掛かりで曹操を騙しにかかったわけである。これを信じた曹操は、早速軍中の鍛冶屋を集めて夜を日に継いで鎖を打たせ、自らの兵船を悉く繋いでしまった。水軍に不慣れな華北の人間の弱みを衝かれたわけだが、この策略はまんまと図に当り、魏80万の大軍は呉側の火攻の前にもろくも潰え去った。時に建安13年12月、いわゆる赤壁の戦である。

その呉の首都建業が、のちに南京になった。南京という名は、明の3代永楽帝が国都をここから北京に遷したときに与えられたもので、ここには江南諸国が歴代の都を置いた伝統がある。

羽笠が、芭蕉の謎掛を赤壁の戦の舞台ごしらえと読取って、その始末を付けているらしい事は、ここまで考えるとよくわかるが、芭蕉が、赤壁の故事を持出した本当の狙いは、曹操ならぬ私が仕掛けた鎖から自由になる工夫を見せて欲しいというところにあるらしい。これは芭蕉の口から必ずや出たと思う。羽笠の句が大振りになったのは、そのことに関係がある。

「斗牛を貫く」という諺がある。岳飛の詩「青泥寺ノ壁ニ題ス」より出て、北斗・牽牛を貫くほどに雄気の漲るさまをいうが、蕉・笠の二句は、北東-寅-に起こる気があれば、、南東にも呼応する英気がある、と読むことができる。と読むことができる。「南京」と遣ったのは、曹操の南征は読み取ったと一座に伝えながら、故事から逃れるため、読みもナンキンなどと示さず、南京は京都に対する奈良の呼び名でもあるから、「雲かうばしき南京の地」と仕立てたか。

句は二ノ折の表の最後、羽笠の仕立には、興行の締めくくり方をも睨んで、俳諧地を中国の故事から日本の旧都に引いてくる狙いがあるから、刀工の姿は自ずとそこに浮かんでくるが、それはあくまで英気のうつり-焼刃の匂-としてであっても句はこびの糸目は芭蕉が仕掛けた連環の計から入り、それを脱する工夫に求めるしかあるまい、と。


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