狩衣の下に鎧ふ春風

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INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火

―表象の森― 近代文学、その人と作品 -2-

吉本隆明「日本近代文学の名作」を読む。

森鴎外と「高瀬舟
文学者としての鴎外は、生涯素人であるかのように、自分で抑制してなるべくprofessionalとして振る舞わないようにした。小説も翻訳も当時の第一級、作品としては優れた出来映えだが、自分では素人の文学に固執する。つまり余技でやっているという形を崩さない。

鴎外の代表的作品は「雁」だと思う。これは鴎外が玄人として振る舞っている作品で、しかも歴史小説と同様に丁寧に書いて、優れた作品だ。
鴎外の歴史小説では、自分は小説家ではなく考古的な記録係だというふりをしている。「高瀬舟」もそうだが、武家社会の義理や倫理に対する関心であり、武家の持っている独特の倫理への関心が強くあった、と。

芥川龍之介と「玄鶴山房」
初期の芥川は歴史小説のなかに近代の心理主義を導入したといえよう。いわば近代心理を持った平安朝人たち。女性心理の奥にひそむ奇怪さにたいする好奇心が歴史小説家としての芥川を支えた。

芥川は娑婆苦の人であった。中産下層の出自と知的世界にいることの乖離が彼を終生脅かし続けた。

晩年の作「玄鶴山房」は、若く才気走った頃の芥川が、非難してやまなかった田山花袋の作品に似ているといえよう。彼は出自と現状の乖離から生まれるニヒリズムを深化させ、エゴイズムが渦巻く世界を描き出した。人間が抱える闇の描写は圧巻、文学的な成熟を充分に見せている、と。

宮沢賢治と「銀河鉄道の夜
賢治の宗教と文学、作品全体から現れ出てくるものが宗教的な雰囲気を含んでいるということが、賢治の童話の最大の特徴だ。異常なほどのスピードで、最も真剣に白熱したところで書かれているから、文学と宗教が渾然一体となって、童話作品だが宗教的にもよめるものになっている。

彼の童話世界が翻訳され読まれるのは、宗教的な情操は仏教的であり、作品の倫理も自然観も仏教的だと言えるのに、熟した作品の全体性はエキゾチズムの要素を特徴にしているのではなく、一つの宇宙性が国際的に通用するものになっており、西欧の文学と全く等質なものとして受け容れられるのだと思う、と。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−34

  粥すゝるあかつき花にかしこまり  

   狩衣の下に鎧ふ春風  芭蕉

次男曰く、「狩衣の下に鎧ふ、春風」とも、「狩衣の下に鎧ふ春風」とも読める。
前者なら「春風」は連句特有の投込みの季のあしらいで、狩衣の下に具足を着けていても春風が心地よく感じられる、という句、後者なら、花に「かしこまる」という表現の可笑しみを咎めて、春風を「鎧ふ」と、いかめしく、滑稽に遣ったか。

公達などの出陣もしくは陣中と考えれば、前のように読んで二句見易い作りだが、芸がない。せっかく引き上げた「花」も生きぬ。名残のはこびも末とはいえ、芭蕉とも有ろう者がと考えたくなる。

こういう作りは、両義に渉って頭をひねらせる狙いが味噌に違いない。鎧うのは具足ならぬ春風だ、と告げたいのだ。さては、慣れぬ戦か、それとも初陣か、緊張してるな、と読者にさぐらせることは面白くなくはないが、芭蕉が云いたいのはそれだけではないらしい。

「弓馬の事は在俗の当初なまじひに家風を伝ふと雖も、保延三年八月遁世の時、秀郷朝臣以来九代の、嫡家相伝の兵法は焼失す。罪業の因たるに依って、其事会を以て心底に残し留めず。皆忘却し了んぬ。詠歌は、花月に対して動感の折節、僅に三十一字を作す許りなり、全く奥旨を知らず」-吾妻鏡-、文治2年8月、陸奥へ赴く途中の老西行が鶴ヶ岡宮で頼朝の問に答えたことばである。

重五・野水の付合に西行の俤があれば、「狩衣の下に鎧ふ春風」はこのパロディと読むことができる。蕉句の大切な見どころかもしれぬ。因みに、この興行の巡りは先に述べたとおりだが、以下三句efcに変更、つまり杜国が芭蕉に「花にかしこまる」人物の見定めを譲っている、気配りの見える点だ、と。


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