枕もちて月のよい寺に泊りに来る

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INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―山頭火の一句―

「大正14-1925-年2月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂堂守となったが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいとおもへばさびしい生活であった。
  松はみな枝垂れて南無観世音
」と、山頭火は第一句集「鉢の子」の冒頭に記している。

味取観音堂は、義庵和尚の座す法恩寺の管理下にあった末寺である。
現在の熊本県植木町、味取のバス停の傍に、観音堂への登り口があり、「味取観世音、瑞泉寺登口西国三十三箇所霊場アリ」の石碑が立つ。それより急な石段を登り切ったところ、ひっそりと観音堂が佇んでいる。

当時、この寺の檀家は51軒だったから、その布施による収入はたかだかしれたもので、暮しのしのぎはおおかた近在への托鉢によるものであったろう。彼に課された仕事といえば朝晩に鐘を撞くことくらいで、ずいぶん気ままな生活だったようである。雨の日は落ち着いて読書もできたろう。夜などは、近在の青年を集めて、読み書きを教えたり、当時の社会情勢なども説いて聞かせたという。

日々の暮しのなかで困ったのは水である。檀家の51軒が順繰りに、毎日手桶二杯の水を運んでくれたらしいのだが、それでは充分とはいえず、水の不自由は悩みの種だったようである。
そんな苦労からであったか。後の個人誌「三八九」に「水」と題された随筆がある。

「禅門−洞家には「永平半杓の水」といふ遺訓がある。それは道元禅師が、使い残しの半杓の水を桶にかへして、水の尊いこと、物を粗末にしてはならないことを戒められたのである。-略- 使った水を捨てるにしても、それをなおざりに捨てないで、そこらあたりの草木にかけてやる。−水を使へるだけ使ふ、いひかへれば、水を活かせるだけ活かすといふのが禅門の心づかひである」と。


―世間虚仮― 映画館は怖い!

朝から揃って「崖の上のポニョ」を観るべく出かけた。
映画館での鑑賞は、暗がりの中で大音量だから、KAORUKOは怖がってとてもそれどころではあるまいと、これまで一度も行ったことがなく、今日が初見参なのだ。

案の定、暗い館内に入って椅子に座るや、もう落ち着かない様子。前から3列目という至近距離で大きな映像とともに音が鳴り出して数分で、やっぱり音を上げた。私の腕に喰らいつくように、「出よう、出よう」と訴えかけてくる。

ポニョと宗助の明るい場面では、画面に惹き込まれているようだが、魚群が動き、海が荒れたりするともう駄目で、私の腕にしがみつく。そんなことを何度も何度も繰り返して、ようやくendmarkまでこぎつけた。予期していたとはいえ、大変な初体験であったことよ。


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