霜月や鸛の彳々ならびゐて

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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―世間虚仮― イタリアでも

市民記者が綴るNews SiteにJanJanニュースというのがある。
イタリア在住で翻訳に携わるという日本人女性の伝えるところによると、近年この国でも日本同様、貧困格差問題が深刻な状態を呈しているらしい。

プレカリアートと呼ばれる非正規雇用の労働者や、ネーロという外国人の日雇い不法就労が激増、建設業などこれらの人々が働く現場では、就労中の不慮の事故や災害による死亡が多発しているというのだ。今年の上半期だけでも555人がそういった労働災害で死亡し、444,755名がなんらかの傷害に遭っているというから凄まじいの一語に尽きる。

もう少し詳しく知りたければ「此処」を見られるといい。

イタリアのみならず、EU加盟の先進諸国は大なり小なり、軒並み似たような状況を呈しているのではないかと推量される。
米国発のファンド・バブルが世界を席巻した挙句に残されたものは、世界経済の破綻という危機とともに、先進諸国にあまねく深刻な貧困格差をもたらしただけではなく、発展途上国の飢餓と難民をさらなる窮状に追い込むばかりか、きっとそのスケールを爆発的にひろげていくことになるのだろう。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」−01

  霜月や鸛の彳々ならびゐて  荷兮

詞書に「田家眺望」とある。
鸛-コウ-こうのとり、彳々-つくつく

次男曰く、「霜月の巻」は、尾張五歌仙の「冬の日」-荷兮編、貞享2年春板-に収める「炭俵の巻」に続く第五の巻である。

霜月は陰暦11月。まず、貞享元年10月下浣にはじまった尾張五歌仙の興行は、月内には成就しなかったらしいとわかる作りだが、霜月は鍬納め、一陽来復の月である。興行納めの巻という含みをこめて初五としたものだろう。

鸛は、音はカン、コウノトリである。コウヅルともいう。形態・大きさともに丹頂鶴に似て見間違われやすいが、頭上に赤く露出した部分や頬から喉にかけての黒毛はなく、またツルとは目・科も違う。留鳥として周年棲息し、往時は日本各地で繁殖していたらしい。そのせいか季語にも立っていないが、ツルは湿原に、コウノトリは森や林の喬木に営巣する。

句は、用意された題詠で当座嘱目とは到底考えられぬが、それにしても、鶴の名声に隠れ、和歌にも俳諧にも採り上げられなかった鳥の名を、どうしてわざわざ持ち出したのだろうと思う。

「霜の鶴」という伝統的歌語-凍鶴の傍題-がある以上、「霜月や鶴の彳々ならびゐて」では句のさまにならぬ。「詩経」の「豳風-ひんぷう-」に、「我、東より来れば、零雨それ濛たり。鸛は垤-てつ-に鳴き。婦は室に嘆ず」。けぶる雨のなか、鸛は蟻塔を見付けてよろこび鳴いているが、故国では妻がさぞ恨んでいよう。東征の帰途を長雨に阻まれた兵士の歌で、鸛・鸛鳴を俗に雨降らしというのはここから出たものだ。

句の目付はそこにあるか。霜月ともなれば鸛も鳴くに術なく、彳歩する、と読めば俳になる。霜は雨を嫌う。

彳は少歩のさま、転じて佇む意にもなる。つくつくは「詩」にからうた、「燕」にさかもり、「時」によりより、「虚谷」にこだま、「夷衣」にひなごろも、「背」にきたのねや、「吟」にさまよふ、「長」におとなし、と振る類で、「虚栗」馴染みの用字である、と。


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