豆腐つくりて母の喪に入

080209027

Information-四方館DanceCafé「五大皆有響」-
08年を締括るeventも恙なく終え
わざわざお運びいただいた方々及び関係者のみなさんに感謝。

―表象の森― 近代文学、その人と作品 -8-
吉本隆明「日本近代文学の名作」を読む。

島崎藤村と「春」
「春」には藤村自身が岸本捨吉という名前で登場する。北村透谷をはじめ、平田禿木戸川秋骨馬場孤蝶など文芸雑誌「文学界」の主だった同人たちをモデルに描かれている。
このグループにおける日本の文芸の近代化とは、キリスト教的な教育実践と先駆的な女子教育だった。生活様式も西欧的なスタイルをとることであり、また恋愛至上主義でもあった。なかでもその近代化の理念にあまりに急進的だった透谷が、この小説の中心人物となっている。
藤村の小節の中で「春」は登場人物がもっとも生き生きとしている。漱石をはじめ「破戒」を評価する声は高かったが、ではなぜ藤村はその後、「破戒」のような社会思想的な意味を含んだ小説を書かなかったか。本来的には藤村自身がそうした社会思想や差別問題に一貫した関心を持っていたわけではなかったからだ。その後、自分の書きたいものを初めて書いたのが「春」であり、一番主要な作品だと思える。

二葉亭四迷と「平凡」
二葉亭四迷は日本のおけるロシア文学受容の最初の人といってもいい。英文学の夏目漱石、独文学の森鴎外に匹敵する大知識人だといえる。
自伝的作品の「平凡」において、彼は文学に対して大鉈を振るう。さまざまな角度から、文学者や文芸作品を全面的に否定する論議が展開されている。その弾劾は徹底して恐ろしい感さえ受けるほどだ。重要なのは、彼が自分自身への批判、否定とともに、他の文学者たちへの弾劾を深めている点だ。
「平凡」を論じるためには、二葉亭だけでなく、日本の近代文学全体を視野に入れた研究や批評が必要だと思う。彼の文学への弾劾をどう受け止めるかは、なお今後の課題となるだろう。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」−30

  釣柿に屋根ふかれたる片庇  

   豆腐つくりて母の喪に入  野水

次男曰く、雑、豆腐つくるという季はない。「片庇」を見込んだ付には違いなさそうだが、さて「片庇」をどう読んだのかということがわからない。

闌更-ランコウ-の「冬の日句解」に、「片庇の家を喪屋に見替たるか、喪屋古代は殯-もがり-といへり、極て片庇に造るもの也」とあり、「片庇」を服喪に結びつける考はその後も受入れられているが、古代の喪屋-荒城、殯-を片廂に設けたという記録はない。その後、喪屋の意味が墓守ふうに変ってからもそういう文献はないようだ。

野水は、「片庇」つまり片割れと見込んだのではないか。豆腐作りを生業としてささやかに世を渡る、母子二人暮しの一人が欠けた、と読めばよくわかる。豆腐屋が、母親に死なれてみると今更のように豆腐のよさがよくわかった、という孝養心がおのずと現れていればそれでよいと思うが、そういう解はどこにもないようだ。母と子の二人暮しだったのだと気付けば、「豆腐つくりて」はなかなか芸のある素材になる、と。


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