西日のどかによき天気なり

080209013

―温故一葉― 逢縁機縁

年詞に代えて一筆啓上
昨年はデカルコマリィこと清水立夫君はじめMusician各位には大変お世話をかけました。

お蔭さまにて、9月と12月、二度のDanceCaféもたいした破綻もなく無事終えられ、これも各位のご協力あってのことと、四方館一同、心より感謝致しております。
清水君とは古くそれこそもう20年余の付き合いだし、杉谷さんとは小野朝美さんの紹介から始まり、以来DanceCafé他殆どの公演にお世話になってきたし、大竹さんの存在については浜口慶子の舞台を通してずっと以前から承知してきたし、松波さんは純子の学生時代からの親しい演劇仲間として私的に交わってきたし、ひとり田中さんのみ昨夏以来の付き合いながら、「山頭火」に無理を承知でお頼みしたところ、きわめて限られた稽古のなかで、よく考えたSoundを作っていただき、すでに十年来の知己のごとく親しく感じられるほどだし‥。

年初のひととき、それぞれの合縁奇縁にさまざま想いを馳せつつ、この年になっての貴重な邂逅に、なにやら心弾むような愉しい気分にさせて貰いおります。

扨、弁天町でのDance CaféのVideoを同封させていただきました。
リハの時間もなく、照明のチェックもないままの本番突入で、ずいぶんと暗いsceneの連続となっておりますが、その点は何卒ご容赦。参考までにご覧願えれば幸いにて。

また近く企画を立ち上げますほどに、その節は愉しくお付き合いのこと旁々宜しくお願いいたします。
  09.己丑 睦月 ―四方館亭主、林田鉄拝


「合縁奇縁」とは、人が出会い、気心が合って親しく交わることができるのも、理屈を超えた不思議な縁によるものだ、といった意だが、別の表記として「相縁奇縁」や「愛縁奇縁」、或いは「逢縁機縁」などといった当て字まである。それぞれの表記に、なんとなくそう当てたくなる心ばえのほどが偲ばれるようだ。

その文字どおり合縁奇縁ともいうべき人々、昨年のDance Café再開から付合ってくれているデカルコマリィこと清水君と、Musicianの大竹徹、杉谷昌彦、田中康之、松波敦子の諸氏に、会の模様を伝えるVideoを編集したのを、遅ればせながら年詞代わりに送らせていただいたのだが、そこに添えた一文である。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」−02

  木のもとに汁も膾も桜かな  

   西日のどかによき天気なり  珍碩

次男曰く、西日は、傾く日差がとくに堪えがたくなる候に着目して、今では晩夏の季語とされているが、昭和9年刊の虚子編「新歳時記」にはまだ載っていない。同「改訂版」-昭和15年刊-に、「清滝の向うの宿の西日かな−吉右衛門」を句例として、追補したのが最初だろう。

「長閑、のどけし」は「はなひ草」以下、古くから兼三春の季語として扱っている。「古今集」春歌の部に「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」-在原業平伊勢物語にも見える-。もともと和-のど-、静かで穏やかなさまで、これも季語には関係はないが、古歌の用例に鑑みて春としたものか。

季にこだわれば「西日のどか」という云方はまず支-つか-えるが、「源氏」の「常夏」の巻にも「風はいとよく吹けども日のどかに、曇りなき空の、西日に成るほど蝉の声などもいとくるしげに聞ゆれば」というような件がある。印象のいずれをいずれに寄せるべきか、作者式部にさしたる違和感はないようだ。

珍碩の脇は時候・時分を以て素直に打添うた付と見てよく、手本は「冬の日」第五の巻の、「霜月や鸛の彳々ならびゐて−荷兮」に付けた芭蕉の脇だろう。「冬の朝日のあはれなりけり」。如何せん、兮・蕉の二句のように一首の体を成すわけにはゆかぬから、「よき天気なり」がいかにも間延してきこえる。

どうして韻字留-脇作の通例である-の工夫ぐらいしなかったものか。西日のどかによき空の色、−よき鳥の声、もしくは、−いささかの冷え、いくらであるだろう。無造作をよしとしたか、それとも相伴の曲水に作を請わんがための無策か、と。

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