熊野見たきと泣給ひけり

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Information−四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― どちらが先か?−F.ヴァレラ「身体化された心」より

「世界とイメージと、どちらが先か」という問いに対するほとんどの視覚研究の答えは、認知主義者であれ、Connectionistであれ、それぞれ研究テーマの名称から明らかである。彼らは「明度差から形状を」「運動から奥行きを」「さまざまな照明から色を」回復することを研究する。このスタンスを<鶏の立場>とすれば、

<鶏の立場> そこにある世界は所与の特性である。それし認知システムに投影されるイメージに先立って存在するのだから、認知システムの課題は-記号によって、あるいは全体的な準記号的状態によって-世界を近似的に回復することだ。

この立場はとても理に適っているように聞こえるし、事物が他のやり方で存在しうると想像することはとても難しい。他の選択肢としては<卵の立場>しかないと考えてしまう。

<卵の立場> 認知システムはそれ自身の世界を投射する。故にこの世界の見かけの実在性はこの内的な法則の反映にすぎない、と。

しかしながら、色は、知覚、認知能力から独立して「外のそこ」にあるのでもないし、我々を取り囲む生物学的、文化的世界から独立して「内のここ」にあるのでもない。色は、客観主義的な見方に反して、経験的なものであり、主観主義的な見方にも反して、我々の共有された生物学的、文化的な世界に属するものである。

所与の外的世界の回復としての認知-実在論-と、所与の内的世界の投射としての認知-観念論-という、これら両極は<表象>をその中心概念としている。前者では外にあるもの回復するために使われる表象、後者では内にあるものを投射するために使われる表象である。

Enactive approach を標榜する我々の意図は、認知を回復や投射としてではなく、<身体としてある行為>として研究することにより、この内側対外側という形式的な対立を回避することにある。

<身体としてある行為>とは、第一に、各種の感覚運動能力を有する身体のさまざまな経験に、認知が存在すること。第二に、これらの感覚運動能力自体が、より包括的な生物的、心理的、文化的コンテキストに埋め込まれていること。

感覚と運動の過程、知覚と行為が生きた認知においては根源的に不可分であること−両者は個人において偶発的に結びついているだけでなく、一体化して発展してきたのだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」−22

  羅に日をいとはるゝ御かたち  

   熊野見たきと泣給ひけり  翁

次男曰く、前二句を「平家物語」巻十、屋島を落ちた小松三位中将維盛の高野山剃髪、熊野参宮の俤と見做して、その入水を知らされた北の方・若君姫君の悲嘆のさまを付けている、と私なら読む。

ここのところ、打越以下三句が同じ人物と読まれ易いはこびである。いきおい、打越と前を身分ちがいで所詮かなわぬ恋をたねにした向付、前とこの句を同一人の高貴な女性と考える説や、打越と前を深窓佳人の二句一意、この座を熊野詣を趣向にして、女旅を男旅に読替えたと考える説-中村俊定-も生れる。いずれも、俤を引出すということの面白さがわかっていないようだ。

「熊野見たきと泣給ひけり」を維盛北の方の俤と読んでいる宮本三郎注-校本・芭蕉全集第四巻-でさえ、打越と前を男女の向付と解している。そうではあるまい。

維盛は重盛の長子、病と称して一ノ谷の合戦にも加わらず、一門より先に屋島に逃れた、かの優男である。「抑もこれより江戸を厭ふにいさみなし。閻浮愛執の綱つよければ、浄土をねがふも物うし。ただこれよりや山伝ひに宮こへのぼつて、恋しきものどもをいま一度みもし、見えての後、自害をせんにはしかじ」-巻十、首渡-と悲嘆にくれる男が、さんざ迷ったあげく高野に上り滝口入道の導きで剃髪した、という哀話を諸注はおろそかにし過ぎている。

熊野はもともと土着信仰だが、院政期、阿弥陀信仰と習合して行事化されるに及んで、貴賤男女の別なく往来が繁くなり、世に蟻の熊野詣と呼ばれた。そのなかから俤の一つもさがすなら、よほどの説話的要素がなければなるまい。維盛入水を除いて有ろうとも思われぬ、と。

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