花咲けば芳野あたりを駆廻り

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―世間虚仮― 阪神なんば線今昔

以下は昨夜書いてupしようとしたのだが、Internetの接続トラブルで出来ず、一日遅れのup。

暖かいが風吹き荒れ模様の春分の日、イランの暦では元旦にあたるという。
開通した阪神なんば線、今朝の午前4時50分、初発の奈良行普通電車が尼崎駅から発った、と。なにしろ50年越しの難波延伸計画がやっと完結を見たのだからおめでたいというべきか。

昔は伝法線と呼ばれていたという阪神電車西大阪線、難波延伸計画の第1期工事-千鳥橋−西九条間-が着工されたのは私が高一だった1960-S35-年のことだから遙か遠い昔だ。その完成が64-S39-年で、併せて同じ時にJR環状線が全線複線化され名実ともに環状線となっている。

その後67-S42-年に第2期延伸工事の西九条−九条間が一旦は着工されたのだが、九条新道の商店街を中心に地域住民の反対の声にすぐさま中止され、大阪ガスの工場跡地に大阪ドームが誕生する97-H9-年頃までこの延伸計画が再燃具体化することはなかった。

その30年間における九条界隈の変容、商店街を中心に鉄工所が林立していたこの街の衰微は相当なものである。
この街で生まれ育った者のひとりとしても無関心でいられる問題ではなかったし、おまけに新しく生れた九条駅の地下出入口は我が実家の道路を挟んだ真向かい、旧NTT西局であったから尚更のことであった。

つい昨日もちょっとした所用があったので実家近くを通ったのだが、九条南交差点の角地のビル、古くは戦前からのもので以前は三菱銀行九条支店だったのだが、それがいつのまにか取り壊されコンクリートの残骸ばかりとなっていたのには、車を走らせながら、あの大阪空襲にも焼け残って生き延びてきたビルがとうとう消えゆくかと一瞬感慨がよぎったものだ。

そういえば、毎日新聞の連載シリーズ「わが町に歴史あり−知られざる大阪」ではこのところずっと西区の話題で、今朝も前回に続いて松島新地の由来譚だったから、折しも新旧交錯した九条界隈の噺のタネ、阪神なんば線は50年余を経ての噺だが、後者松島のほうは明治初期の頃まで遡ろうというもので、人住む街のさまざまに折り重なる記憶や痕跡というもの、そういう匂いがするものに触れると我知らずなにやら温もりが身内に生じてくるのが感じられ、こんなのが茫とした生の実感とでもいうものであろうかと思われる。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」−35

   医者のくすりは飲ぬ分別  

  花咲けば芳野あたりを駆廻り  曲水

次男曰く、名残の花の定座である。巡りでは珍碩に当るが、譲ってcb入替った所以は先に説いた。

「分別」をどう読取ったかはわからぬが、其人の付である。その他に解を須いぬ。しいて云えば、一巻の起承転結に西行の俤があるか。

「旅に死ぬるは行脚の本意也と、此花は発句に花見と言題に匂て、斯くは附たり」-秘注-、露伴も「遙に花見と題したる発句に呼応して好し」と云っている、と。

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