摩耶が高根に雲のかゝれる

080209064

―世間虚仮― 父と子の春休み

我が家の幼な児KAORUKO、小一の春休みももう終わりだが、連れ合い殿に4月1日付転勤の辞令が下って彼女は引継ぎやらなにやら大忙し、このところ毎日夜も遅いから、此方は子守り同然の日々が続いていたのだった。

その短いようで長い春休みをどう過ごさせたものかと思案したが、偶々算数や国語の勉強を見てやった折、その理解の進捗度も気にかかったものだから、些か強引だけれどこの期に一年間の総復習とばかり比較的易しいものから難しいものまで3冊ほど問題集を買いこんでやらせてみることにしたのである。

算数でいえば計算より文章題の問題理解が、まあこの頃ならそれも無理はないのだけれど、荷厄介だろうと思っていたが、なんのことはない、計算自体も反復練習が乏しいのか少々覚束ない面があることが判ってきた。そこでこの数日は、ネットで百マス計算などをダウンロードできるサイトを見つけて、一桁の足し算引き算、二桁と一桁の足し算引き算、あるいはその虫食い算と、次から次へとプリントして反復させることも併用してみたところ、リズムに乗ったか俄然調子が出てきてヤル気満々の体。昨夕など「勉強、好きか?」と問えば、「うん、大好き!」とまで応じる始末で、これには此方もビックリだ。

子どもは勉強するのを「たのしい!」と言わせなきゃダメなのだ。
今日も朝から、新しいプリントをと自分から言い出すほどである。漢字練習帳を持ち出してきては、2年生になって習う漢字表から上段にお手本を書いてくれ、と言ってきては余白のマス目にびっしりと書き写していったりもする。

難しいほうの問題集を休み中に踏破するのはもう間に合わず、ゆっくり構えるしかないけれど、この分ならどうやら新学期が始まっての向こう一年を、かなりきちんと追っていけるだけの根気と底力がついてきているのではないかなどと、ぐんと暖かくなったバカ陽気もあってか、自画自賛の浮かれ親バカ‥。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−08

  乗出して肱に余る春の駒  

   摩耶が高根に雲のかゝれる  野水

次男曰く、摩耶山は神戸市の東北、六甲山の西南に位置し海抜700m、頂上に摩耶夫人を祀る仏母山刀利天上寺がある。本尊は馬頭観音ではないが-十一面観音-、馬屋との同音によって古くから馬の守護山として賑い、摩耶詣は其諺-きげん-の「滑稽雑談」-正徳3年成-以下に、陰暦二月初午の日の季語としても挙げている。

句は、春三句続を雑に移した、裏入介添のはこびだが、眺望おのずから季の見定めがあるだろう。コマとマヤの尻取、加えて詞も亦寄合だという好都合が付に一役買っているには違いないが、「乗出して」東せんか西せんか決めかねる去来の馬首を、野水が-春の雲のかかる-摩耶山へ向けさせたのは、どうやら軍記好みの興らしい、と読めてくる。

太平記」は元弘3-1333-年六波羅府壊滅の端緒となった記念すべき合戦の模様を、華々しく伝えている。大塔宮護良親王の令旨を受けた播磨守護赤松円心則村が、摩耶山に拠って幕府方の大軍を悩まし、これを打破ったのは同年閏2月、3月のことである。これは、話も心も前句からのうってつけの移りになる。

去来句を挟んで凡兆と野水の句は一見もつれる叙景と見えながら、「鶯の音にたびら雪降る−乗出して肱に余る春の駒」と「乗出して肱に余る春の駒−摩耶が高根に雲のかゝれる」とは、まったく別の世界を演出している。初折裏入にあたって軍記仕立に奪ったこの叙景の添はうまい。歌仙のはこびに、まず華を添えるものだ。

さらに「乗出して」、京から出る遠駆の楽しみならまず近江路だと考えれば、右の仕立の趣向に、もうひとつうまみが生れるだろう。

「近江路や真野の浜辺に駒とめて比良の高根の花を見るかな –従三位源頼政」-新続古今集・春-
「合坂山をうちこえて、瀬田の唐橋駒もとどろに踏み鳴らし、ひばりあがれる野路の里、志賀の浦波春かけて、霞にくもる鏡山、比良の高根を北にして、伊吹の嵩も近づきぬ」-平家物語・巻十、平重衡の鎌倉送り-。

共に巷間よく知られたもので、貞享5-元禄元-年9月、越人・芭蕉の両吟「雁がねの巻」にも既に借用が見える。初裏11、2句目、「月と花比良の高ねを北にして –芭蕉」「雲雀さえづるころの肌ぬぎ –越人」。むろん野水はこれも覚えていた筈で、「乗出」すなら東あっての西、軍記なら「平家」あっての「太平記」と、ごく常識の分別があれば、右の付合を掠め「摩耶が高根に雲のかゝれる」と作るくらい造作もないことだ、と。

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