蛭の口処をかきて気味よき

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―世間虚仮― Soulful Days-22- やっと動いた!

厚い検察の壁が、やっと動いた。
先ほど-AM11:30頃-、N検察官から突然の電話。
曰く、事故当時の記録画像につき、MKタクシー側から直接取り寄せたうえで、T側の過失に関しあらためて検証のうえ審理するから、そちらの提出しようというcopy画像に関しては一応保留願いたい、との事。
急転直下、壁はやっと穿たれたのだ。

但し、官僚というものつねに保身一途、まことに狡猾なもので、いかにも交換条件と言わんばかりに、「ついては、」と切り出してきたのが、此方の出した告訴状、これには肝心な点で事実誤認-事故直前のM車の停止時間を2〜3秒としていた-の主張もあったりするので、この際、取り下げては戴けぬか、とのご託宣だ。

これには思わず苦笑させられたが、今後の審理にはなお相当の日数もかかりましょうから、その推移を見守りつつ、あらためて訂正をするのか或いはすべて取り下げるのか、検討させてください、と返したら、いや急がずとも結構ですから、との仰せだ。審理手続き上、告訴状の存在はひとつの汚点にもなろう。きちんとやるから、出来れば消しおきたい、ということか。まったく笑わせる。
やっと、振り出しに戻って、賽が振られるのだ。ようやくここまで辿りついた。

ふと壁際のRYOUKOの写真に眼をやる
突然、腹腔が横隔膜を押し上げ
ドッと涙が溢れでた


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−10

  ゆふめしにかますご喰へば風薫る  

   蛭の口処をかきて気味よき  芭蕉

次男曰く、田仕事からあがった人のくつろぎを以てした与奪の付だが、「蛭-ひる-の口処-くちと=くい跡-」と云い、「かきて気味よき」と云い、凡兆の機才に対する誉めことばだ、というところにまが作がある。摩耶合戦を持出した野水の誘いを、「かますご喰へば風薫る」と風俗の工夫でかわした、涼しげな治めぶりが小気味よい、と芭蕉は眺めているらしい。因みに、六波羅攻め三手の内、足利は関東の名族、千種は名門廷臣、赤松氏だけが播磨の微々たる一士豪だった。「蛭の口処」とは云い得て妙である。

蛭-水蛭-は仲兼三夏の季だが、「蛭の口処」と遣えば雑の詞にもとりなせる。竹筒などにヒルを入れ、瀉血に用いた歴史は古い。むろんこの用も、次座への持成しとしてあらかじめ俳諧師の思案の内にあった筈だ。其人の情を付伸した唯の遣り句のように見せながら、前後に含みを利かせて取出した素材は、さすがである。

この句も、くちと、かきて、きみよき、とカ行音のかさねで快感を盛上げている。三句にわたって、ややうるさい気がせぬでもないが、それほど新弟子凡兆の出来に芭蕉は満足したということか。おのずからの軽口だろう、と。

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