この旅、果てもない旅のつくつくぼうし

080209091

山頭火の一句−句集「鉢の子」所収だが、いつ詠まれたものか定かではない

ただその前書に「昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ」として、
 踏みわける萩よすすきよ
 この旅、果てもないつくつくぼうし
の2句が添えられている。


―表象の森―「群島−世界論」-03-

ウラ、という神秘的な音に、このところ私の耳はとり憑かれている。そして音を媒介にして音と意味の連鎖を文字テクストのなかに探り出す衝動、という意味においては、私の「耳の眼」もまた、ウラという音を持った文字にとり憑かれている、とつけ加えるべきだろうか。ウラという音は、おそらく日本語におけるもっとも深く豊かな意味の強度と地平の広がりを抱えた、始原的な音の一つであるにちがいない。

たとえば、心と書いてウラと読む。この万葉以来の用法からすぐに気づくことは多い。心悲しい、心淋しい、心思い、というときのウラは、意識の内奥、すなわち表に見えない心中の微妙な機微にかかわる音=ことばである。「心安」とは、心中安らかな、という意味で万葉集のそこここで見える用法であるが、地名ではこれを「浦安」と書いたりする。ウラという音をなかだちに、心が浦に通じていることはあきらかだ。

 -今福龍太「群島−世界論」/3.浦巡りの奇蹟/より-

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