投げ与へられた一銭のひかりだ

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―山頭火の一句―

行乞記、昭和5年9月24日付の項に載る。
山頭火はこの2日前より、都城の江夏屋に3泊している。町はお彼岸の賑わいであったらしい。
「或るカフェーに立つ、女給二三人ふざけてゐてとりあはない、いつもならばすぐ去るのだけれど、ここで一つ根比べをやるつもりで、まあユーモラスな気分で観音経を読誦しつづけた、半分ばかり読誦したとき、彼女の一人が出て来て一銭銅貨を鉄鉢に入れようとするのを『ありがとう』と受けないで、『もういただいたもおなじですから、それは君にチップとしてあげませう』といったら、笑つてくれた、私も笑った、少々嫌味だけれど、ナンセンスの一シーンとしてどうだらうか」と書いている。
続けて「お寺詣りのおばあさんが、行きずりに二銭下さつた、見るとその一つは黒つぽくなつた五銭の旧白銅貨である、呼びとめてお返しするとおばあさん喜んで外の一銭銅貨を二つ下さつた、彼女も嬉しそうだつたが、私も嬉しかつた」と。

―四方のたより― 徐々に変身

この頃の稽古場では、JunとAya双方ともに少なからず変化が見られる。
それぞれにその背景は異なるのだろうが、姿勢においてどちらも積極果敢になってきているのが一目瞭然だ。
われわれの採る手法がImprovisationであってみれば、本人の積極な姿勢と心の開放度はその成果を決定的に左右する要素だろう。
昨日の稽古でもそうだったが、二人とも、私が言うsuggestionやadviceに素直に耳を傾けつつも、自ずからしたいように、いろいろと試しているといった風情が、見ていて容易に感じ取れる。攻めの姿勢で臨めば臨むほど、当然その分、身体にはきつく負荷も大きくなって堪えるのだけれど、そこは心のありよう次第、それをも自ずとたのしめるようになるものだ。

これからしばらくは、週半ばにもう一回、稽古日を設けていくことにした。曜日は固定せず、お互いの都合でそのたびに調整していくことになろうが、週一から週二の稽古へとなるのは、はていったい何年ぶりのことだろう。


―表象の森―「群島−世界論」-08-

カリブ海の詩人たちは、どこに生まれようと、ついには群島的な出自を持つにいたる。それぞれの故郷である固有の島にたいする生得的な帰属は、あるとき、より広汎で接続的な、カリブ海島嶼地域全体にたいする帰属意識へと置き換えられ、彼らの住み処はこの多東海、この群島全体にひろがってゆく。個々の島々の景観、植生、動物相、人々の相貌や暮らし向き、話されている言葉といったものの差異は、その時二義的なものへと後退する。ただ「歴史」だけが、いや「歴史の不在」だけが、島々をつないでおり、その自覚によって、詩人たちは新しい家を得る。群島という家。その家は、もはや大陸の家のように旅に疲れた魂がその羽を休めるための安住の場ではない。それはむしろ、詩人をさらなる旅に駆り立て、歴史の不在に向けて自らの生存を突きつけるために赴くあらたな戦いの場である。生まれ故郷の島は、その群島の一角にあり、彼らの帰還をいつも待っている。彼らが帰郷者としてではなく、新たな難破者として戻ってくることを。すでに難破者の末裔として生まれ、難破者として離散の途についたのであれば、帰郷は永続的な難破の経験としてしか起こりえないからだ。それが詩人たちの生きる真実であり、彼らが歌う真実でもあった。なぜなら、すでに彼らは固有の出自に守られた世界の輪郭を蹴破って出奔し、時の波浪にもまれながら、ついに群島の子供として転生したからである。終わりなき群島から群島への旅の途上で、島へとたちもどるかつての嬰児たちの陽に焼けた顔を、それぞれの島は待ちわびている‥。

そんな群島的な出自への自覚をみずからの想像の根幹にすえる一人の大柄なカリブ海詩人がデレク・ウォルコットである。その生地セント・ルーシャ島からジャマイカグレナダ、そしてトリニダード、ボストンと辿った彼の離散的移動の航跡が、カリブ海北大西洋を結ぶ、すぐれて群島的な領海を渡るものであったことは、容易に確認できる。
 -今福龍太「群島−世界論」/8.名もなき歴史の子供/より

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