焼き捨てて日記の灰のこれだけか

Ichiokaob090530

山頭火の一句昭和5年9月

私はまた旅に出た。――
所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だった。愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だった、浮き草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ。
水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、――
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのままに写さう。
私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなってゐるのである。ただ捨てても捨てても捨てきれないものに涙が流れるのである。私もやうやく「行乞記」を書きだすことが出来るやうになった。――

ほぼ3ヶ月のこの九州行乞、第1日目の足跡は9月9日の八代町にはじまる。そして人吉・都城・宮崎・志布志高鍋・延岡・竹田・由布院・中津・八幡・糸田・門司・下関・後藤寺・福岡・大牟田と廻って、12月15日に熊本へと戻った。

―四方のたより― 市岡OB美術展

とうとう第10回を迎えたOB美術展、昨夕はその千秋楽、打上げの会。

高校時代より畏兄と仰いだ辻正宏が逝って、その一周忌に彼を偲ぶ会が「いまふたたびの’98市岡文化祭」と名づけられ故人有縁の輩が集ったのを機縁に、’00年の1月だったか第1回が開催されたのが、回を重ね、いつしか歳月はめぐってはや10回目を数えるに至った訳だが、こうして年に一度の逢瀬をたび重ねてきた来し方をふりかえれば、去来することさまざま輻輳してなんとも言葉にしがたいものがある。

ただ明瞭に云えることは、流れた歳月だけおのおの年老いてきたという動かしがたい事実が、お互い五十路、六十路を歩いてきた輩だけに、強い感触をもって迫ってくるのだ。

写真は第10回を迎えた記念誌としての作品集、表紙・裏表紙に配されているのは3年前に逝かれた中原喜郎兄の作品。

―表象の森―「群島−世界論」-07-

2005年10月下旬、ガラパゴス群島最大のイサベラ島でシエラネグラ火山が噴火したというニュースは、記憶のなかに眠っていた火山群島の鮮烈なイメージをあらたに喚びだすきっかけを私に与えた。溶岩がゆっくりと島の野生をなぎ倒して流れ進み、水蒸気雲が上空20キロまで立ち上るその映像のなかに、私はあらためて<島>というものの誕生にかかわる

神話的な光景を透視した。「群島」を想像する人間の脳裡にとりわけ深く刻まれているもっとも始原的で原型-model-的な火山群島として、ガラパゴス群島を挙げることに異論を持つ人は少ないだろう。

南米、エクアドルの西方沖約1000キロの大洋上、赤道直下に点在する大小19の島といくつもの岩礁からなるガラパゴス群島は、その立地、景観、生物相、そして太平洋探検史における特別の経緯も相俟って、すでにある意味で「始原の島」としての神話的原型をさまざまな大衆的・文化的創造力に提供しつづけてきた。とりわけこの群島は「種」-species-という生物学的概念を進化論の射程のもとに確立したダーウィンの理論の啓示的「発見」をもたらした特権的な場所としてなによりも知られている。

 -今福龍太「群島−世界論」/7.種の起源、<私>の起源/より

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