寝処に誰もねて居ぬ宵の月

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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―世間虚仮― ヤン坊マー坊50年

夕方の茶の間、ご飯どきだから否やもなく眼に耳に入ってきた、あの天気予報のヤン坊マー坊が、今日まで生き延びて50年にもなるという。マンネリこそ長生きの秘訣、偉大なるか超マンネリだ。

それにしてもあのアニメキャラを、誕生の50年前から今日までずっと一人で描き続けてきたというイラスト・アニメーター氏が新聞紙面で紹介されていたが、この50年で全207作、一作ごとに1500枚以上のイラストを要するとかで、30万枚は優に越えるというから描きも描いたり、驚き桃の木、69歳でなお現役を務めていらっしゃる。

ヤン坊マー坊の連想で思い出されるのが、NHKラジオ番組でこれまた否応もなく耳に残る「ヤン坊ニン坊トン坊」、
50年前といえば1959年、黒柳徹子らのこの番組は’54年から始まって’57年3月に終了しているから、2年をおいての登場ということになるが、子どもの頃の往時を振り返っても、あのテーマソングが流れるとついつい「ヤン坊ニン坊−」の歌までが耳に重なってきたもので、この類似はどう考えても先行の人気番組から頂戴した企画だったにちがいないが‥、とあらぬことまで思い出される始末。

ついでにググってみれば、「ヤン坊ニン坊−」のシナリオ担当が、かの喜劇作家飯沢匡であったと。彼が放送作家でもあったことは承知していたが、これを手がけていたとは気がつかなかった。多彩をきわめた作家だが、その彼の出自が、警視総監・貴族院議員・台湾総督などを歴任した官僚政治家伊沢多喜男の次男とあって、これまた些か意想外なことに出会した。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−05

   そつとのぞけば酒の最中  

  寝処に誰もねて居ぬ宵の月  芭蕉

次男曰く、覗き見を上張の下から寝処-ねどころ-へ奪ったはこびである。宵の月は陰暦3日頃から10日頃までの上弦の月、むろんここは秋の月だ。

前句「酒の最中」とあれば、誘いは仲秋の名月だろう。応じて、待ちきれなくて気の早い酒宴に及んだか、と芭蕉はユーモラスに躱している。「宵の月」取出しはうまい宥めようだが、「寝処に誰もねて居ぬ」とは人ではなく月を主とした観相風の付伸しか、それともちょっと座を外した、とか偶々通りかかったとかした愉快か、いずれにしろ前句の酒宴を覗き込んだ人ではない。打越以下三句同一人物では連句にもならぬ、と。

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