霧島は霧にかくれて赤とんぼ

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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句―
昭和5年の行乞記、9月21日の項
−曇、雨、彼岸入、高崎新田、陳屋

9時の汽車で高原へ、3時間行乞、そして1時の汽車で高崎新田へ、また3時間行乞。
高原も新田も荒涼たる村の町である、大きな家は倒れて住む人なく、小さい家は荒れゆくままにして人間がうようよしてゐる、省みて自分自身を恥ぢ且つ恐れる。

霧島は霧にかくれて見えない、ただ高原らしい風が法衣を吹いて通る、あちらを見てもこちらを見ても知らない顔ばかり、やつぱりさびしいやすらかさ、やすらかなさびしさに間違いない。
此宿は満員だというのに無理に泊めて貰つた、よかつた、おばあさんの心づくしがうれしい。

―世間虚仮―Soulful Days-24- 内奥の傷痕

他者の心は量りがたい。ましてや内奥の傷痕からくるであろう呵責や痛苦など、たとえ自身の苦しみや悲しみに照らしてみたところで、到底推し量れるものではない。
昨夜、M運転手に、この1週間ばかりの動きについて、報告のメールを送ったのだが、その返信を読むなり、そんな思いに捕らわれてしまったのだ。

−私からの往信「先週末の弁護士同士の初会談では、賠償の金額提示などはまったくなかったと。コチラの弁護士が、相手方Tの重過失疑惑や不誠実な態度に、怒りと幻滅を抱いていることを言ったからでしょう。強制賠償は双方のが使えるということもあるし、どうぞ提訴してください、とそんな調子だったと。まったく保険会社やその弁護士というのは、そんなものですかネ。コチラは刑事のほうもまだ時日がかかりそうだし、この報告以前に、貴方を除いて、MK会社サイドと相手方Tを民事でも提訴しようと決めていたので、その旨弁護士に依頼しています。来週にも提訴の運びになるでしょう。

それと、母親と息子に、一度ゆっくりと貴方と話し合う機会を設けたいと言ってます。私とばかりでなく、二人と腹を割って話せば、貴方の心の傷や凝りも少しは軽くなるかも知れないし‥。いまでは母親の思いも、我々と同様、貴方もまた被害者だ、と受け止めています。だから、貴方と一緒に奥さんとも会いたいと言ってます。この機会については、あらためて連絡、相談するつもりです。」

−Mからの返信「ご連絡有難うございます。私にも公安から通知がありましたが、取消処分に変わりないと、との判断でした。基本的に最初の警察調書からの判断・裁定ですから、警察が惰性で作文したものに、日時や場所の記述を差し替える手法で、当事者の真情や表現はあまりにも反映されていないことが、根本的におかしいですし、検察もほぼ同様に感じられます。

また会社は、社保の個人負担費用のことをこちらから散々問い合わせしている時はなかなか返事をせずに、突然何ヶ月とまとまった金額を全額決済しないと、労災手続きの書類に押印しないと、訳のわからないことを平然と言ってきています。現在、私の生活費は給付金であることをわかったうえで、尚且つそんな話です。降格されたKの後任部長職が、我が身の保身を優先し、指示をしているとのことで、さすがに私も家内も体調を崩してしまい、折角の治療も後退してしまい、担当医もびっくりしていました。労災担当の方からも心療内科に労災手続きが出来る指定医に転院して、精神的にケアを奨められました。

本当に色々とご心配戴き有難うございます。大変息苦しい状態で、本当に折れそうな今日この頃です。有難うございました。」

公安のあるいは検察の審判が、事故当事者たる運転手双方の過失をどのように裁定したとしても、人ひとりの生命を理不尽にも奪い取ってしまったことの重さ-罪悪-からは逃れようもない、というのが人間としての本分だろう。しかしこの当事者たちMとTは、事故直後よりずっと、対照的な、真逆といっていいほどのリアクションに終始してきたように思われる。一方は自己保身と防衛のためにいち早く固い鎧に我が身を包み込んでしまい、そこから一歩も出ようとしない者、他方は直き心でというか、率直に真摯に事態を受け止め、心身もろともにその責め苦に向き合いつづけようとする者。むろん後者がMで、前者がTそのものだと私は捉えているのだが。

それにしても、私にとって到底量りがたいものがあるというのは、まず、その事故自体の、生の具体的な経験そのもの、その衝撃の強度は、それぞれM固有のものであり、T固有のものである筈で、その消し去りようのない生の衝撃と、第三者-RYOUKO-の死を招来してしまったという悲惨事が直結してしまっているという事態、この事態を正面切って受け止めてしまっては、心というもの、その内奥にどれほどの傷痕を残すものか、それはたとえ不条理にも突如家族を奪われてしまった此方の痛苦や悲しみからでも想像しうるものではあるまい、と私には思われる。

ならば、もう一人のT、さっさと固い鎧のなかに身を隠してしまい「貰い事故」などと何処かで放言を吐いてしまえたような彼は、果たしてその心になんの傷痕も残していないのだろうか、そんなことはあるまい、Mとは異なりもっと意識下に、自身気づきもしない深層の闇深くに、それは隠れてあるにちがいない、とそのようにも思えてくるのだ。

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