きりぎりす薪の下より鳴出して

Dancecafe081226008

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― 飛んで火にいる

高校時代の追憶と、ずっと後の舞台で縁のあった大津皇子折口信夫の「死者の書」に描かれた中将姫伝説や當麻曼荼羅、その懐かしの二上山へ、連れ合いも久しぶりの休みとあって、急に思い立って出かけてみた。
大津の墓のある山頂まで行きたかったのだが、山道を30分余も上ると、日頃の不摂生が祟って、どうにも息が上がってしまい敢えなく頓挫、情けないことこのうえないが山腹でへたり込んでしまった。

とんだ醜態を晒しておのが今のありのままを思い知らされるところとなった訳だが、山道で座り込んだまま日頃の会話不足の解消とばかり、このところちょっと考えていたことをひょいと口にしたはずみで、話は予期せぬとんでもない方向へと走ってしまった。

ここで詳しく書きようもないが、えらいことになったもの、まったく、とんだところへ北村大膳である。
山腹から引き返した所為で余った時間を、もう何年ぶりか、当麻寺へと足を運んで、本堂を観たり、中之坊の庭園を観たりと、余禄を楽しんでから帰路についた。

夜は、遊劇体の「海神別荘」を観るべく周防町のウィングフィールドへ。
この年になって三線は習い出すや、能の舞台には通うは唐十郎の芝居も観る、なんでも貪欲に喰らいついて衰えを知らぬ高校時代の女友だちに声をかけたら、私がご推奨ならばとふたつ返事で自分の旦那や友人まで誘い出してくれたので、心斎橋で待ち合わせをしていたのだが、きっかり約束の時間に着くともう彼らは其処で待っていた。

昨年観た「山吹」の、なかなか見事な結晶ぶりに誘われての今回の観劇だが、その鑑賞記については日をあらためて。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−07

   どたりと塀のころぶあきかぜ  

  きりぎりす薪の下より鳴出して  利牛

次男曰く、初折裏入、台風一過のあとの静寂と見究めて二句一章に作っている。「きりぎりす塀の下より鳴出して」と誰しも作りたくなるところだが、そうはさせてくれぬところが連句である。

「きりぎりす」はコオロギとかぎらず秋鳴く虫のいろいろでよい。だだ広い無用の長物も細分すれば用が生まれる、と悟らせる移し方が面白い。「薪」思付のきっかけはいずれ、倒れた木塀は薪にでもするしかないという程度の連想だろうが、「薪の下より鳴出して」には意外性と萎りがある。きりぎりすを詠んでこういう趣向は、山家好みが流行した新古今以後といえども、和歌に例を見ない、と。

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