僧都のもとへまづ文をやる

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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― 岡本寺の彫刻たちと滝谷のほたる

奈良明日香の岡本寺で、国内外の彫刻家17人の作品30点を集めた「飛鳥から奈良へ−国際彫刻展序章」が開かれている。平城遷都1300年の来年、奈良市で開催予定の「奈良国際彫刻展」に向けたプレイベントというべきものとかで、栄利秋さんからご案内いただいていた所為もあって、一昨日-6/20-の土曜日も午後になってから観に出かけた。

寺の本堂へ上がって鑑賞していたら、折良く栄さんが姿をあらわした。彼の案内で別会場にも足を伸ばしたうえで、ゆっくりとお茶しながら久しぶりに近況など話し込む機会を得た。
奈良市とオーストラリアの首都キャンベラは姉妹都市だそうで、キャンベラ奈良公園彫刻コンクールの話題や栄さん所有する月ヶ瀬の工房の変貌ぶりなど供され、元気人栄利秋の近況に触れた愉しいひとときであった。

その彼と別れ、宇陀の室生寺方面にある滝谷花しょうぶ園を目指して車を走らせたのは、どんよりと曇った暮れ方の6時半頃であったか、長谷寺の山門前を通り抜け初瀬街道-国道165号-を、榛原、磨崖仏の大野寺付近とうちやり、目的の地に着いたのはすでに7時を少し過ぎていた。
大人800円・小人400円、親子3人〆て2000円也の入園料は、ちと高いと思われるが、蛍を見るなぞむろん初体験の子どもに加え、あとで知るところとなったのだが、連合い殿までこの歳にして初体験とあっては、充分対価に見合うひとときの興ではあった。

まだ明るさののこる広い園内に、咲きほこる数々の菖蒲や紫陽花を歩き見て、高台にある休み処で夜のとばりの降りいくをしばし待つ。と小さな光がふわりと浮かんでは消える、一つ二つ、また一つ‥。
この自然に生息する蛍はヒメボタルか、態も小さくその光もあえかでよわいようで、とてもカメラになど収まりそうもないだろう。数はそう多くもないが、といってまあ少なくもないようで、あちらにほう、こちらにほうと、浮かんでは消えゆくたまゆらの光を追うこと暫時、初体験の彼女らにはかなり堪能できたかと思われる。

今日のYou Tubeは[http://www.youtube.com/watch?v=igPmuW7s6qY:title=「Reding –赤する-」のScene.3]
Ayaのsoloから、Junko& AyaのDuoへ−Time 10’06



<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−10

  娣をよい処からもらはるゝ  

   僧都のもとへまづ文をやる  芭蕉

次男曰く、僧都は僧正に次ぐ僧官の第2位、娣と見合にした思付である。
「文をやる」も前句恋のうつりだろう。恋の相手ならぬ僧都の許へ文をやる、というくすぐりは、其人の付と読んでそれだけでも連句の趣向になるが、如何せん、良縁をお坊さんに報告した-もしくは相談した−これなら後付になる-という話作りは芸が無さすぎる。芭蕉の付句とも思えぬ。

第一「娣」は「妹」でよい筈だ。そう思って句姿を眺めていると、ある俤が立ってくる。
「源氏」宇治十帖の終章-夢の浮橋-には、入水して救助された女のその後の消息をもとめて、薫が横川の僧都を訪うくだりがある。出家し小野に隠れ住む女の心を測って、僧都は手引を拒む。薫は歌を添えて-「法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな」-小野へじかに文をやるが、彼女は「昔のこと、思ひ出づれど更におぼゆることなく、怪しういかなりける夢にかとのみ、心も得ずなん」と、使としてたずねて来た吾が弟にも会おうとしない。女は浮舟、宇治八宮の姫君である。大君と中君との異母妹にあたり、亡き大君に生写し。

孤屋・芭蕉の付合は、薫をめぐって大君から中君へ、中君から浮舟へ、という姉妹の情に浮舟入水から蘇生までの顛末を絡ませれば、話が宇治十帖のクライマックスであるだけに充分に俤仕立と読める。
「よい処からもらはるゝ」の真骨頂は、この世の男などではなく、御仏の許に貰われた女の至福と考えざるをえない。「僧都のもとへまづ文をやる」は、人物を取替えて、釈教含みの思い切った恋離れとした手立てだ、と私には読める。僧都をなかにして、男の未練ゆえに女の道心が愈々堅固になる、とはまったくうまい。恋を離れるにはかくありたい、と妬かせる工夫の妙である、と。

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