剥いでもらつた柿のうまさが一銭

Alti200650


―山頭火の一句―
昭和5年の行乞記、10月4日の稿に
10月4日、曇、飫肥町、宿は同前-橋本屋-

長い一筋道を根気よく歩きつづけた、かなり労れたので、最後の一軒の飲食店で、刺身一皿、焼酎二杯の自供養をした、これでいよいよ生臭坊主になりきつた。-略-

今日は行乞エピソードとして特種が二つあつた、その一つは文字通りに一銭を投げ与へられたことだ、その一銭を投げ与へた彼女は主婦の友の愛読者らしかつた、私は黙つてその一銭を拾つて、そこにゐた主人公に返してあげた、他の一つは或る店で女の声で、出ませんよといはれたことだ、彼女も婦人倶楽部の愛読者だつたろう。-略-

行乞記の重要な出来事を書き洩らしてゐたーーもう行乞をやめて宿へ帰る途上で、行きずりの娘さんがうやうやしく十銭玉を報謝して下さつた、私はその態度がうれしかつた、心から頭がさがつた、彼女はどちらかといへば醜い方だつた、何か心配事でもあるのか、亡くなつた父か母でも思ひ出したのか、それとも恋人に逢へなくなつたのか、とにかく彼女に幸あれ、冀くは三世の諸仏、彼女を恵んで下さい。
※表題に掲げた句のほか9句を記している

特種二つとして、主婦の友や婦人倶楽部の愛読者だろうと決めつける前者と、丁重に十銭玉を呉れた行きずりの娘への山頭火の思い入れ、その対照がおもしろい。
雑誌「主婦之友」は1917-T6-年創刊、そのライバル誌ともいえる「婦人倶楽部」の創刊は1920-T9-年だ。大正デモクラシーの潮流のなかで、大衆的主婦層に向けた生活の知恵、暮しに根ざした教養と修養の啓蒙的雑誌だが、大正末期から昭和初期、飛躍的に愛読者をひろげ、主婦之の友は1934年-S9-新年号で108万部発行にまで至っている。その教養主義の大衆化は、古きよきものをないがしろにし滅ぼしていくことでもあったろうから、山頭火は苦々しい面付でこれを見ていたのだろう。

―表象の森― KAORUKO、出色

いや、驚いた、胸中思わず唸ってしまうほどに、
「天国のお母さん、大切なことを言い忘れました。
私を生んでくださって、ありがとう。」
たった二行の、その発語は、出色のものだった。

板の上にのること、虚と実の二相に引き裂かれつつ身を置くといった、その特異な局面が、我が身に否応もなく、一方で昂揚感をもたらし、また緊張感に包まれもし、我が事にあって我が事にあらず、舞台という世界に潜む遊び神にでもまるで背中を押されたかのように、たとえ幼な児といえど、無自覚なままに豹変、憑依してしまうものなのだ。

まこと白川静の云う「言葉とは呪能」である。そしてまた、身振りとは魂振りであり、際において窮まれる振りとは呪能そのものであろう。

振り返れば、昨年9月、ほぼ2年ぶりに再びはじめたDance Caféも、昨夜でやっと4夜を重ね、これが見事なほどに起承転結に照応していることに、ふと気づかされたものである。

バレエの申し子のように育ってきたありさを、世界もキャリアもまるで異なる此方の手法のなかにどのように棲まわせるか、そんな試行にはじまり、13歳のありさの世代にまで降りてゆけるのなら、8歳のKAORUKOにも届き得ようかというのが「Reding」であり、転でもあった、そんな一面がある。

むろん4夜の起承転結、その照応はこの一事ばかりではない。むしろ核というか本質というか、孕むべき劇的変容はもっと要のところで静かに進行しており、こと此処に到っているのだ。

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