堪忍ならぬ七夕の照り

080209202

―世間虚仮― 処罰感情

裁判員制度がはじまり、その初審理の模様が、ここ数日新聞・TVを賑わしてきた。
検察の求刑16年に対し、下された判決は15年、という些か意外なものだった。

事件の詳細や背景についてなにほどの知識ももたない私だが、被害者側の強い悲しみや処罰感情に、法廷という特殊な場とはいえ、ナマに接してみれば、往々にしてその影響下のうちに量刑判断がされやすくなる、ということはあるだろう。一般市民としての裁判員が、陪審員制度のように有罪か無罪かの判断だけでなく、量刑判断に加わりこれを決するるということの重さは、やはり過重のように思われるし、そもそも量刑判断を、その時その場の状況次第でとかく揺れ動きやすい市民感覚というものの判断に委ねてよいものか、あらためて強い疑問を抱かざるをえない、そんな判決だった。

判決後、接見した弁護士の語るところによれば、被告は裁判員の構成について「年齢が若い人が多かった。自分と同年代であれば、近隣住民との問題について少しは想像してもらえたのではないか」などと語っていたという。犯行時の精神状況がどうであったかはともかく、心の平静を取り戻したいま、まっとうな人間のまっとうな物言いだと思われる。

被害者も被告も70歳代の近隣同士の間に起こってしまった無惨な悲劇、その背景に積年の近隣トラブルが介在していたとすれば、短絡的に殺傷行為に至ってしまった被告の科は、理由がどうであれ許されざるものであるが、その遠因となったであろう問題は、どこにでもあることでありながら、なお固有の刻印を帯びた意外と根の深いものなのだろう。被害者遺族による捜査段階での陳述書と裁判における陳述の喰い違いも、些か気にかかるところだ。長い間母子家庭で育て育てられてきた、その母子関係の微妙な歪みも感じられないわけではない。いずれにせよ、近隣としての被害者と被告の積年の関わり、その日常性の全容がほぼイメージされ、それでもなお狂気の沙汰ともいうべき殺傷事件が起こされた、その愚かな短絡的行為が、必要充分なる量刑でもって裁かれるべきだろう。

この裁判が現実にはじまるまで知らなかったが、4日連続という短期集中型の審理過程にも問題は大いにある。この時間的な制約は、事件の背景に迫り真相を究明するに充分なものとは到底思われぬし、連日のマスコミ報道が裁判をショーアップ化してしまう尾鰭まで生み出し、裁判員たちの良識や公正感覚を狂わしかねない。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.32-
「往還記-OHGENKI-?」のFirst stage
「WALTZ -輪舞-sculpture.3-LONG SILENCE-長い沈黙」

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−28
  息災に祖父のしらがのめでたさよ  

   堪忍ならぬ七夕の照り  利牛

次男曰く、日本の七夕信仰、棚機女の風習はもともと農事に因んだ祓行事で、水辺の機屋に神迎えをして斎き、穢れを持帰ってもらう。多くは6日の晩にまつり、7日の朝に供物を川に流すが、七夕に必ず、雨が降るとする信仰はそこから生れる。文字どおり水無月の後の喜雨である。

陽気はむろん万物生長の根幹だが、七夕にまで雨が降らぬのはけしからん、と読めば「息災」の滑稽化はわかる。元気がよすぎる爺も困りものだ、という冷かしを「七夕の照り」に寄せている。

季-秋-を持たせるのは、次句に月の定座を控えているからだ。諸家は、老人の矍鑠-かくしゃく-ぶりを残暑の厳しさに移した付と単純に読む。それだけのことなら「七夕」は「水無月」でも「文月」でも「このごろ」でも「芋畑」でもよいだろう、と。

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