暮れてなほ耕す人の影の濃く

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Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊−上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月4日の稿に
11月4日、晴、行程10里と8里、三重町、梅木屋

早く起きる、茶を飲んでゐるところへ朝日が射し込む、十分に秋の気分である、8時の汽車で重岡まで10里、そこから小野まで3里、1時間ばかり行乞、そして三重町まで8里の山路を急ぐ、三国峠は此地方では峠らしい峠で、また山路らしい山路だつた、久振に汗が出た、急いだので暮れきらぬうちに宿へ着くことが出来た。-略-

どちらを見ても山ばかり、紅葉にはまだ早いけれど、どこからともなく聞こえてくる水の音、小鳥の声、木の葉のそよぎ、路傍の雑草、無縁墓、吹く風も快かつた。-略-

行乞してゐると、人間の一言一行が、どんなに人間の心を動かすものであるかを痛感する、うれしい事でも、おもしろくない事でも。-略-

さすがに山村だ、だいぶ冷える、だらけた身心がひきしまるやうである、山のうつくしさ水のうまさはこれからである。
「空に遊ぶ」といふことを考へる、私は東洋的な仏教的な空の世界におちつく外はない。
台湾毒婦の自殺記事は私の腸を抉つた、何といふ強さだ。

※表題句の外、16句を記す

―日々余話― Soulful Days-27- 一年を経て‥

一周忌法要は無事恙なく終えた。無事恙なくとわざわざ記さねばならないのは、昨年の満中陰法要の席でのなんとも言い難い苦い出来事がいまだ脳裡から離れないでいるためだ。

あれは長兄の発言からはじまった。
RYOUKOが事故で逝って、いずれは慰謝料等損害賠償金の問題が起こる。暮し向きは母親と同居していたにもかかわらず、とうとう結婚する機縁を得ず、独り身のまま逝ってしまった彼女は、私の戸籍のうちにあるままだったのが問題をこじらせた。遺族としての相続権は私と妻双方に互角にあることになってしまう。一言でいうなら、自身の道楽な生きざまで身勝手に妻や子を捨て去った男、彼らにしてみれば、そんな像で括られるのが私だったろう。そんな輩が苦労してきた母親と同様に遺族として対等の権利を有するのは不合理きわまるではないか。そんな想いが満中陰に寄った多くの親族の心に痼りのようにさまざま張り付いていたのだろう。

いや、ほんとうのところを有り体に云えば、この不合理に対する心の痼りは妻の方にすでに起こっていた。突然降って湧いたようなこの相続権を、私がどう考え、どうしようとしているか、私への妻の疑心暗鬼が、すでに親族たちに漏らされ、伝播していたのだった。

離れた席で口火を切った長兄に、私は大声を張り上げて怒鳴り返した。法要の会席は一気に変じてどんでもない醜態を曝した無惨な宴となってしまった。
身から出た錆とはまさにこのことだが‥、それにしても救い難く情けない一席であった。

ほぼ一年を経たこのたびの席は、さざ波さえ立つこともなく終始した。麻生和尚は私が持ち込んだ非母観音の掛軸を快く祭壇の横に掛けて、滞りなく仏事を進行してくれたし、おまけに私の想いの一片をまるで代弁するかのように座興に講じてもくれていた。

肝胆相照らすとは、互いに畏敬の念の裏付けがあってこそ成り立ちうるものだろうが、麻生和尚もまた有難く得難い友である。

一夜明けて午後、MKの社長とK氏を波除の仏前に迎えた。私は昨夜あらためて仔細に書き直した「ドライブレコーダーにみる事故状況及び原因に関する所見」を差し出して、私なりの事故原因の解釈を示した。現在、民事で係争中の名目上の当事者ではあるが、係争相手の実体はむしろ損保会社なのだから、彼らに私どもの考えを明瞭に伝え置くことは決してマイナスには働くまいと思ったからだ。

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