枯草、みんな言葉かけて通る

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Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊−上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月9日の稿に
11月9日、晴、曇、雨、后晴、天神山、阿南屋

暗いうちに眼が覚めてすぐ湯へゆく、ぽかぽか温かい身心で7時出発、昨日の道もよかつたが、今日の道はもつとよかつた、ただ山のうつくしさ、水のうつくしさと書いておく、5里ばかり歩いて1時前に小野屋についたが。ざつと降つて来た、或る農家で雨宿りさせて貰ふ、お茶をいただく、2時間ばかり腰かけてゐるうちに、霽れてきた、小野屋といふ感じのわるくない村町を1時間ばかり行乞して、それから半里歩いて此宿へついた。-略-

歩いてゐて、ふと左手を見ると、高い山がなかば霧に隠れてゐる、疑いもなく久住山だ、大船山高岳と重なつてゐる、そこのお爺さんに山の事を尋ねてゐると−彼は聾だつたから何が何だか解らなかつた−そのうちにもう霧がそこら一面を包んでしまつた。-略-

山々樹々の紅葉黄葉、深浅とりどり、段々畠の色彩もうつくしい、自然の恩恵、人間の力。-略-

山はいいなあといふ話の一つ二つ−三国峠では祖母山をまともに一服やつたが、下津留では久住山と差向ひでお弁当を開いた、とても贅沢なランチだ、例のごとく飯ばかりの飯で水を飲んだだけではあつたが。
今日の感想も二三、−草鞋は割箸とおなじやうに、穿き捨ててゆくところが、東洋的よりも日本的でうれしい、旅人らしい感情は草鞋によつて快くそそられる。
法眼の所謂「歩々到着」だ、前歩を忘れ後歩を思はない一歩々々だ、一歩々々には古今なく東西なく、一歩即一切だ、ここまで来て徒歩禅の意義が解る。
山に入つては死なない人生、街へ出ては死ねない人生、いづれにしても死にそこないの人生。-略-

酒はたしかに私を世間的には蹉跌せしめたが、人間的には疑ひもなく生かしてくれた、私は今やうやく酒の緊縛から解脱しつつある、私の最後の本格が出現しつつあるのである、呪ふべき酒であつたが、同時に祝すべき酒でもあつたのだ、生死の外に涅槃なく、煩悩の外に菩提はない。-略-

今夜も水音がたえない、アルコールのおかげで辛うじて眠る、いろんな夢を見た、よい夢、わるい夢、懺悔の夢、故郷の夢、青春の夢、少年の夢、家庭の夢、僧院の夢、ずゐぶんいろんな夢を見るものだ。
味ふ−物そのものを味ふ−貧しい人は貧しさに徹する、愚かなものは愚かさに徹する−与へられた、といふよりも持つて生まれた性情を尽す−そこに人生、いや、人生の意味があるのぢやあるまいか。

※表題句の外に、25句を記す、
その中に、「ホイトウとよばれる村のしぐれかな」もみえる
それにしても、この日の行乞記はやたら長い、文庫にしてちょうど8頁、話題は思うがままさまざまにとぶ。

―四方のたより― ながいまわり道

昨日の稽古に、山田いづみが参入。
ずいぶん古い話だが、’81年か2年頃であったろう、たった一度きりだが、彼女は晴美台の私の稽古場に来たことがあった。当時、神澤師に師事するようになって2年余りか、埋めきれぬものを抱いて心はすでに別なる世界を激しく求めていたのだろう。若さゆえでもあるその激しさは、神澤師とは似て非なるとはいえ私の許とてまた同類同縁に映るのもやむを得ず、別なる新天地を求める選択をこそ必要としたのではなかったか。

次に彼女と再会したのは、’87年の春、少女歌舞劇シリーズの「ディソーダー」をもって参加した枚方演劇祭での、劇団犯罪友の会-現・劇団HANTOMO-の打上の宴だった。彼女は座長武田一度君の細君として宴の中に居た。後に私は、武田君とも縁が出来て交わるようになり、今日まで折々それぞれ個別の付合いをしてきたことになる。

場合によっては長時間にわたるのも覚悟していた稽古のお手合せは、いざとなればごくゆるやかに、互いにご挨拶程度のもので了とした。用意しておいた構成的メモ、これに基づいて少なくとも段取りめいたものがほぼ共有できたとみえたからだ。彼女とていわば百戦の踊り手、自分なりにイメージが成ったとすれば、その時孰を本人に任せたほうがよい。

終わって一緒に飯を喰った、やはり話が弾む。お蔭で私のなかに大きな課題が生まれた。いや正確には、以前より心の底に秘めた宿願の如きもの、これに灯が点いた、現実に向き合うべき時期が到来しつつある、というべきか。

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