ぬかるみ、こゝろ触れあうてゆく

Dc09092618

−表象の森− 書の宇宙と、舞踊と

どうやら今年しばらくは、書家石川九楊の著書群を渉猟することに明け暮れそうな気配である。
いまのところ「一日一書-02-」と「書の終焉-近代書史論-」の二書を読了してまもないばかりなのだが、その書論・技法論は、私などにすれば、舞踊における形式論や技法論に、まるでそのままに照応するかのごとき観、まことしきりなのである。

−今月の購入本−
石川九楊「日本語とはどういう言語か」中央公論新社
三浦つとむの名著「日本語はどういう言語か」とは一字違いの書名はまことに紛らわしいが、こちらは書家石川九楊による日本語論。漢詩・漢文体と和歌・和文体を両極として成立している日本語の文体、その二重複線構造をもつ言語における「書字」への総合的で内在的な分析を試みた、文-かきことば-篇と言-はなしことば-篇の二部構成からなる書。06年初版の中古書。

石川九楊「書 - 筆触の宇宙を読み解く」中央公論新社
書を性格づけるのに「筆蝕」の表現と言う造語をあてる著者。青銅器や石に刻む、竹簡や紙に筆で触る、その間の相克、統一を通して書は生まれたからだ。それゆえ書は黒と白の対比の表現ではなく、光と陰による表現なのだ。筆尖-ひっせん-を通じて書家は対象に力を加え、対象から反発する力が返る。それをねじ伏せたり、折り合いをつけたり、微妙に震えたり、スーッと逃げたり‥、そういうドラマを、さまざまな古今の名書にもとづき、西洋音楽の楽典に匹敵するような分析で、書の美が解かれ、説かれゆく。書はまた個人の精神的営為でもあるからして、確立した規範からの揺らぎ、崩しが必ず生ずる。それがまた新たな規範となるのは、何らかの革新的な思想性、技術を含んでいるからだ。楷書が「軟書化」していく唐以降の狂草-きょうそう-や、空海が日本にもたらした雑書体について、そうした構造が解き明かされる。「書の宇宙」と題され、01年から02年にかけ、京都精華大で開かれた連続講座、12回の講義録。05年初版の中古書。

石川九楊「選りぬき一日一書」新潮文庫
01年から03年の3年の間、京都新聞に連載された「一日一書」にもとづき出版された01〜03巻-二玄社刊-から一年分に再編され選りぬかれた文庫版。

鹿島茂「パリの日本人」新潮選書
明治の元勲・西園寺公望、江戸最後の粋人・成島柳北、平民宰相の原敬、誤解された画商・林忠正、宮様総理の東久邇宮稔彦、京都出身の実業家・稲畑勝太郎、山の手作家の獅子文六、妖婦・宮田-中平・武林-文子etc.‥。パリが最も輝いていた時代、訪れた日本人はなにを求め、どんな交流をしていたのか、明治維新以降の留学生がフランスから<持ち帰ったもの>をそれぞれに探る。

・Yi‐Fu Tuan「空間の経験 - 身体から都市へ」ちくま学芸文庫
人間にとって空間とは何か、それはどんな経験なのか、また我々は場所にどのような特別の意味を与え、どのようにして空間と場所を組織だてていくのだろうか‥。70年代、現象学的地理学の旗手として登場した著者が、幼児の身体から建築・都市にいたる空間の諸相を、経験というKey Termによって一貫して探究した書。88年単行本初版。

原広司「空間 - 機能から様相へ」岩波現代文庫
著名な建築家である著者は、工学的な知識はもとより、哲学、現象学、仏教学などの知見を駆使、長年にわたる集落調査の成果にも依拠しつつ、現代世界を支配してきた機能的な均質空間の支配に抗して、新しい「場」の理論を構想、設計の現場から21世紀の建築は<様相>に向かうというテーゼを発信する。87年単行本初版。

新宮一成夢分析岩波新書
忘れていた幼年期の記憶を呼びもどし、自らの存在の根源を再確認する−人間精神の深層にある無意識のこの欲望こそが、我々が夢を見る理由である。夢はどのようなしくみによってその欲望を満たすのか。夢に登場してくるさまざまな内容は何を象徴するのか‥、ラカン精神分析に精通した著者が豊富な実例分析をもとに夢の本質に迫る。00年初版。

埴谷雄高北杜夫「難解人間vs躁鬱人間」中公文庫
他界する2年前の95年に「九章」が出版された未完の「死霊」、その著者本人を相手に、86年に初版された「八章」について、長年にわたって交友の深かった北杜夫が、一見支離滅裂とも見える脱線ぶりを呈しながら、難解世界の読解を試みてゆく妄想的放談の記。90年単行本初版。

埴谷雄高「死霊 -1.2.3-」講談社文芸文庫
本書について何をか況や。46年「近代文学」創刊号より連載されるも、49年「四章」で中断、「五章」が「群像」に発表されたのが下って75年、以来、断続的に81年に「六章」、84年に「七章」、86年に「八章」、そして95年に「九章」、と書き継がれるも、ついに未完のまま終わっている、わずか五日間を描く小説に50年を費やしたという文学史上の異色作。03年一挙に文庫化されているが、最近になって、友人のT.Kさんがダブって書店に注文したとかで、有難くも拝領に与った。

−図書館からの借本−
岡井隆「注解する者 -岡井隆詩集-」思潮社
毎日紙「今週の本棚」に曰く、注解にあたる言葉は、西洋では「舌」また「言葉」をあらわすギリシア語の「グロッサ」より派生している。舌の味分け、言葉の味読‥、歌人岡井隆はつねづね歌づくりのかたわら、古歌・秀歌をとりあげ、「グロッサ」の修練をしてきた。おそろしく舌がこえている、細部の吟味と味読において名人芸に達している。09年初版。

坂部恵「ペルソナの詩学 -かたり ふるまい こころ-」岩波書店
生きた日常のことばによって、ペルソナ-人格-の重層的で多元的なあり方を捕捉すること、それは大胆にして繊細な試みである。西欧近代以来の主―客二元論への傾斜に抗して、ことばとペルソナを通底するダイナミックな構造に応じた新たなモデルを探ること−、物語論、行為論から自-他関係の解釈学へ‥、西田幾多郎和辻哲郎らの遺産を読み直しつつ、近代の枠を超える思考パラダイム−、<ポイエーシス>の次元を構想する。89年初版。

田中貴子「あやかし考 -不思議の中世へ-」平凡社
道成寺絵解」にはじまり、絵巻・説話から風聞まで、中世の不思議な話の数々を渉猟し、まことしやかに伝えられ語られる伝説が、はたして当の人物や出来事の本当の姿を伝えるのものか、を解きほぐし明らかにしていく。04年初版。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-29-
1月25日、また雨。

午後、稀也さんを見送るべく熊本駅まで出かけたが、どうしても見出せなかつた、新聞を読んで帰つてくると、間もなく馬酔木さんが来訪、続いて元寛さんも来訪、うどんを食べて、同道して出かける、やうやくにして鑪板を買つて貰つた-今度もまた元寛君のホントウのシンセツに触れた-。

※表題句の外、1句を記す

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−