笛を吹いても踊らない子供らだ

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−表象の森− 日本語とはどういう言語か -02-

「序章−日本語の輪郭」−からのMemo 承前

・日本語とは、東海の孤島で生まれた言語である
政治的な意味での日本の成立は7世紀後半、これ以前に日本語はない。前日本語としての倭語がこれ以前に存在したことはまぎれもない事実だが、それが現在の日本列島に統一的に存在したかどうか、また、前アイヌ語や前琉球語とどういう関係にあるかは、現在までのところ不明である。
総合的に考察すれば、現在の日本語にまっすぐにつながる新生日本語-語彙と文体-は和歌と和文の生まれた平安中期、つまり女手-平仮名-の誕生期に姿を整え、成立したと考えられる。成立の始まりの象徴は10世紀初頭の「古今和歌集」であり、「土佐日記」・「伊勢物語」を経て、11世紀初頭の「源氏物語」がその仕上げの象徴である。
その新生日本語の姿-書体-は、小野道風の書「智証大師諡号勅書」-927年-、同「屏風土代」-928年-で明瞭な姿を見せ、藤原行成の「白楽天詩巻」-1018年-に完全なる姿を現わす。

・日本語とは漢字と平仮名と片仮名という三種類の文字をもつ言語である
漢語-漢字語-から生まれ、それへの戦略と戦術によって分かたれた中国語と日本語と朝鮮語と越南語は、文字=書字に主律された言語圏の言語である。
たとえば日本語で「ジューキ」と聞いても、「重機」か「銃器」か「戎器」か「重器」「重喜」「住基」-住民基本-であるか解せない。文字を思い浮かべることによってはじめて理解に至る日本語は、文字中心の言語である。したがって、日本語では声ではなく「文字を話し」「文字を聞く」。アルファベットの西欧語は「声を話し」「声を聞く」言語といちおうは規定されようが、それとて「文字を話し」「文字を聞く」側面がないわけではない。
漢字と平仮名と片仮名の三種類の文字をもつという点において、日本語は世界に特異な言語である。この特異性と比較すれば、日本語の文法的な特徴なるものは微々たる役割しかもたない。

・日本語の語彙は漢語=音語と、和語=訓語と、片仮名語=助詞からなる
「雨」という漢字の片面に音語としての「ウ」、また他の面に訓語としての「あめ」があるように、日本語は「音」と「訓」のと二重性、二伴性をもつ。音語たる「ウ」は漢語圏に広がり、訓語たる「あめ」は和語圏に広がる。この場合、漢語を即中国語と言えぬように、和語もまた即和語成立以前からの孤島語=古代倭語と規定することはできない。むろん漢語は元来、大陸・漢に由来する語彙ではあるが、近代において日本で生まれた漢語も多く、しかも、漢語も和語も共に日本語であるから、正確には、音語と訓語と呼ぶ方が間違いは少ないと言えよう。
この見地に立てば、和語=古来からの「美しい」日本語、漢語=中国渡来の「さかしらな」外来語という、本居宣長的歪んだ国粋的誤解も少なくなるだろう。
平仮名は訓語を成立させたが、片仮名は漢詩漢文に挟み込まれた異和であり、漢詩漢文を開き、新しい日本文・漢詩漢文訓読文を作り上げた助詞「テニオハ」の象徴である。

・日本語の文体は、漢詩・漢文体と、和歌・和文体を両極として成立している
日本語の文体は、「委細面談」式の漢詩・漢文体を一方の極とし、「くわしいことはおめにかかったうえで」式の和歌・和文体を他方の極とする広がりの中にある。「委細面談」の付近に「委細ハ面談」式のいわゆる漢文訓読体があり、両極の間には、「委細はおめにかかったうえで」「くわしいことは面談で」等、種々雑多、複数の文体がある。
この複数の文体の同時的存在は、漢字と平仮名と片仮名の三種類の文字を有する日本語に不可避の構造的特徴である。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-36-
2月1日、降つたり霽れたり、夜はおぼろ月がうつくしかつた。

三八九第一集を発送して、重荷を下ろしたやうに、ほつとしたことである、心も軽く身も軽くだ。
今日もまた苦味生さんの真情に触れた。
俳句は一生の道草とはおもしろい言葉かな。

※表題句の外、4句を記す

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