木の葉に笠に音たてゝ霰

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−日々余話− 大和都市管財破綻、国賠闘争の記録

もう2週間ほどになるか、嘗て木津信抵当証券の被害者救済訴訟で苦楽をともにした櫛田寛一弁護士から一冊の新刊書が贈られてきた。

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花伝社刊の「闇に消えた1100億円」、著者今西憲之はどうやらフリージヤーナリストのようである。一昨年の9月、大阪高裁判決で、国の監督責任を認めさせ、一定部分といえ国賠訴訟に初の勝利をものした、被害者17000人余を数えた大和都市管財破綻事件における被害者救済の闘争記録である。帯に「原口一博総務相推薦!」と大書してあるのは、彼自身、この救済問題に当初から関心を寄せ、政府への請願や交渉に協力してきた、そんな経緯があってのことのようだ。

大阪・東京・名古屋の三都市で組織された被害者弁護団が合同して、管轄官庁たる財務省近畿財務局の監督責任を問い、国家賠償請求訴訟へと展開していったわけだが、その初期においては弁護団としても勝訴への確信はほとんど持ち得ていなかっただろうと、当時の報道などを見るにつけ私などにはそう思わざるを得ず、またしても火中の栗を拾った闘志の人櫛田弁護士も、今度ばかりは報いられえぬ苦労に終始するのではないかと、他人事ながら要らぬ心配をしながら関係報道に注目してきたものだ。

大和都市管財が破綻したのは平成13年4月、だがそれよりずっと以前、平成7年8月、近畿財務局は業務改善命令を出す筈であったにもかかわらず、どういう背景からかこれを撤回してしまっていたらしい。もうこの頃から危険視され、破綻も時間の問題とみられていたのだろう。それを6年も7年も生きながらえさせ、被害を甚大なものにしてしまったのはなぜか、近畿財務局や財務省に決定的な落ち度はなかったのか。

本書によれば、国側の責任を認めさせたこの判決をもたらす突破口となったのは、大勢の関係官僚の中からたった一人現れ出た参事官の、その勇気ある証言によるものだった、という。まさに救世主あらわるだが、このあたりの事情についてかなり詳しく書いてくれているのが、ルポルタージュとしてもたのしめる要素ではある。


−表象の森− 筆蝕曼荼羅−明末連綿草、その3

石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

傅山「五言律詩」
狂草的に動き回る愉快な明末連綿草。どこまでも作為的な王鐸の臨二王帖とは異なり、傅山のこの作は、速度や臨場によってもたらされる自然な表現も見られるが、それでもやはり全体を作意が貫き、時折、場面転換も姿を見せている。一筆書き風であるにもかかわらず、実際には、それほど連綿連続していない。
行書体を基礎に書かれていることもあって、既に書き終えた画を次の画が平気で横切るなど、王鐸よりもいっそう筆路が迷路化している。
王鐸とは異なり、筆尖がやや角度をもって紙-対象-に対するところから、痩せた書線ながらも、筆蝕の揺れ、また筆毫の割れも生じている。速度を主体とする表現であるため、ハネやハライが、まったくといっていいほど深度をもたない。

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月黒一綫白。林底林端榮。木心信石路。只/覺芒鞋平。雲霧遮不断。禽獣蹂/不奔。侶伴任前後。不譲亦不爭。/樵徑一章。 傅山。

錯綜する筆路、そして筆毫の割れ

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傅山「五言律詩」部分
遮不断/不譲亦


―山頭火の一句― 行乞記再び -17-
1月8日、雪、行程6里、芦屋町

ぢつとしてゐられなくて、俊和尚帰山まで行乞するつもりで出かける、さすがにこのあたりの松原はうつくしい、最も日本的な風景だ。

今日はだいぶ寒かつた、一昨日6日が小寒の入、寒くなければ嘘だが、雪と波しぶきとをまともにうけて歩くのは、行脚らしすぎる。

ここの湯銭3銭は高い、神湊の2銭があたりまへだらう、しかし何といつても、入浴ほど安くて嬉しいものはない、私はいつも温泉地に隠遁したいと念じてゐる、そしてそれが実現しさうである。
万歳!

  • 略-、途上で、連歌俳句研究所、何々庵何々、入門随意といふ看板を見た、現代には珍しいものだ。

※表題句の外に、代表句として人口に膾炙した
「鉄鉢の中へも霰」を記す

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