暮れて松風の宿に草鞋ぬぐ

Santouka081130043

−日々余話− 書と気力

偶にでしかないが、書道教室に通っている子どものKAORUKOと習字ごっこをすることがある。概ねは子どもの筆の持ち方や運びに注文をつける役回りなのだが、自分でも2枚や3枚書いてもみる。そんな折に、とりわけ臨書よろしくモデルを見ながら書いたりすると、まあとんでもない、頗る気力を要することに気づいては今更ながら愕然としている自分が居るのだ。ほんの数分とはいえ、こんなにも緊張と集中を迫られ、気力を振り絞っている自身の姿は、もはや古層と化した遠い記憶の彼方にしかないような、そんな気さえしてくるのである。

勿論この背景には、このところずっと石川九楊に導かれながら、彼の説く書論や書史にどっぷりと浸ってきている日常が大きく与ってあるのだろう。そうに違いないのだけれど、それにしてもこの気力の再発見は、すでに六十路半ばを過ぎようとしている自身にとって、意外に大きな出来事なのかもしれない、とそんな想いにとらわれたりもしているのだ。

どうやら、近頃の私は、またぞろ転換期に差しかかっているらしい、おそらく人生三度目か、四度目の‥。

−今月の購入本−
今月もまた石川九楊オンパレード、これは否応なく翌4月にも及ぶこと必至。

石川九楊「中国書史」京都大学学術出版会
大著「書史」三部作の第1作は'96年刊。本書の刊行は京都大学学術出版会であるのに対し、続く「日本書史」、「近代書史」が、なぜ名古屋大学出版会の刊行となったのか、疑問に思っていたら、この「中国書史」の編集を担当した八木俊樹なる人物は、石川九楊の友人でもあったらしく、めずらしいことに本書巻末の跋文を書いてもいるのだが、この出版後まもなく死亡したとみえ、そういった事情が背景にあるようである。

その跋文に曰く
宣言文-マニュフェスト-として−
書ははじめてその理論をもった。書史ははじめてその論理と文体をもった。ここに書が自らを定立する体系が提示されている。

定式-テーゼ-風に−
従来のすべての書論や書史の主たる欠陥は、書が、筆触と筆蝕が、ただ文字の形態美すなわち直感の形態のもとにのみとらえられて、書する現実性としてとらえられず、書が主体的に逆説的にとらえられないところにある。従って、書の主体的営為は観念的に、人格と心理と感情の抽象的様相や形として解釈されたに過ぎず、書史は又、書の便覧とその訓詁と注釈の展覧となる他はなかったのである。

著者の代理人-エージェント-として−
書の主語とは何か、書の述語とは何か、書するとは何であるのか、これらの根底の問いと謎に応接することによって、書的表出を筆蝕と角度による放縦で慎重な戦術と、それに機能的に領導され、それを領導し返す構成と断定するに到った。私なりに解して、ここに、書の自立を宣言する、書の言わば哲学大系を叙述し、書的表出の哲学史を遠近しえたと思う。書が書の近代の不在という貧困に孤独であったとすれば、これによって私は、漸う書の現代に直面し、そこに自己と世界を賭けることができるであろう。

・「石川九楊の書道入門」芸術新聞社
本書では、楷書の手本として褚遂良の「雁塔聖教序」を採っている。欧陽詢の「九成宮醴泉銘」の楷書では、点画がやや直線的で硬く、石に刻った姿が色濃く投影されている形象と見る。これに比して、「雁塔聖教序」は筆で字を書いたそのままの姿が石碑に刻られているものと見え、行書や草書への階梯もわかりやすくより役立とう、としている。

−図書館からの借本−
石川九楊編「書の宇宙 -13-書と人と・顔真卿二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -14-文人の書・北宋三大家」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -15-復古という発見・元代諸家」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -16-知識の書・鎌倉仏教者」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -17-文人という夢・明代諸家」二玄社
石川九楊編「書の宇宙 -18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社


−表象の森− 筆蝕曼荼羅−八大山人
石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

八大山人「臨河序」
臨河序とは蘭亭序の異文、八大山人が長い条幅に書いた-1700年-ものを、短い条幅に仕立て直している。突然現れた、稚拙、舌足らずの、滋味溢れる、ちっぽけな表現世界。その世界は、対象-紙-に対して角度をもたずに突き立てたままの垂直状態の筆の尖端を用いて、ちびちびと、こすりつけるような均等圧の書きぶりに生じている。字画は均一な太さとなり、転折は曖昧化する。八大山人の癖ともいうべき<口>の部の描法、ちびたけちな寸足らずの造形‥。

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永和九年暮春。/會于會稽山陰之/蘭亭。脩禊事
也。羣賢畢至。少/長咸集。此地酒峻/領崇山。茂林脩

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竹。更清流激湍。暎/帶左右、引以/爲流觴曲水。列坐其
次。是日也。天朗氣/清。恵風何暢。娯目/騁懐。洵可樂也。

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雖無絲竹管絲之/盛。一觴一詠。亦足/以暢敍幽情已。故
列序時人。録其/所述。/ 庚辰至日書。 八大山人。

・寸足らずの造形−力動感の感じられない<暮><會><崇>などは、子供が筆をもって書いたような字。寸足らずで、均衡を欠いた均衡を見せるといった、奇なる造形と化している。
・均一な太さの字画−<亭>や<脩>は、まるでサインペンで書いたかのよう。
こすりつけるような筆蝕−<賢><脩><日>などは、筆尖のちびた筆に少量の墨をつけて、こすりつけるように書いたかのようなケチな表情。
・歪む口部−<和>をはじめ<羣><右>など、例外なく口部が左短右長-縦筆・上急下緩-横筆-の歪んだ癖のある表現と化している。癖とでも呼ぶべき表現は、この時代に本格的に登場する。
・筆蝕の必然性なく揺れる画−<帶>の最終画のゆれは、臨場からくる速度や力の必然から生まれているのではなく、垂直・均等圧の筆蝕で、揺れるように姿を作為的に描き出しているもの。
・垂直・均等圧の筆蝕−垂直・均等圧の筆蝕で書かれているため、<地>や<氣>や<風>の辶部の中ほどの曲がり部分に力の抜けが出現せず、同程度の太さで書かれている。
・転折が曖昧−筆蝕が力動性を失うため、どのような表現も可能となり、ここでは転折が曖昧化している。<賢>の貝部や<崇><朗>はその典型。
清朝碑学の書の魁−明末連綿草とは異なる、八大山人の垂直・均等圧の筆蝕の延長線上に、清朝碑学の無限微分筆蝕による書が生まれることが理解される。


―山頭火の一句― 行乞記再び -18-
1月9日、曇、小雪、冷たい、4里、鐘ケ粼、石橋屋

とにかく右脚の関節が痛い、神経痛らしい、嫌々で行乞、雪、風、不景気、それでも食べて泊るだけはいただきました。

今日の行乞相はよかつたけれど、それでもそれでも時々よくなかつた、随流去! それの体現までいかなければ駄目だ。

此宿はわるくない、同宿3人、めいめい勝手な事を話しつづける、政変についても話すのだから愉快だ。

同宿のとぎやさんから長講一席を聞かされる、政治について経済について、そして政友民政両党の是比について、−彼は又、発明狂らしかつた、携帯煽風機を作るのだといつて、妙なゼンマイをいぢくつたり図面を取り散らかしてゐた、-略-

昨夜はちぢこまつて寝たが、今夜はのびのびと手足を伸ばすことが出来た、「蒲団短かく夜は長し」。此頃また朝魔羅が立つやうになつた、「朝、チンポの立たないやうなものに金を貸すな」、これも名言だ。

人生50年、その50年の回顧、長いやうで短かく、短いやうで長かつた、死にたくても死ねなかつた、アルコールの奴隷でもあり、悔恨の連続でもあつた、そして今は!

※表題句のみ

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