朝凪の島を二つおく

Dc09070767

―日々余話― 一分の良心ありやなしや

論語に曰く「女子と小人とは養い難し、之を近づくれば則ち不遜、之を遠ざくれば則ち怨む」、都合が悪くなると手のひら返すも平気の平座、自分勝手で厚顔無恥な御仁にも、僅かに良心の欠片があるやもしれぬと、微かな期待を込めて文すれば、やたらだらだらと連綿綴り、以下の如く相成り候―

Hiromaiさん、先日はたいへんお疲れさまでした。
本番を迎えるまでの準備やら気苦労やらもなまなかのことではありませんが、いざ本番の日ともなると毎々のことですが、こういった催しは、スポットを浴びる出演者も大変なのはもちろんですが、裏方・下支え役にとってもほんとうに気苦労がたえませんネ。
それにしても、大勢の世話係を動員され、受付など表まわりの事務や配置は周到なもので、集団としてのチーム力や統率力、想像はしていましたが、相当なものですネ、些か驚かされました。

ただ、とにもかくにも、終演までの時間、これは予想をはるかに越えてかかってしまいましたネ。
このプログラムならば、きっと9時半まではかかるだろうと予測はしていましたが、10時を過ぎるとは思いもよりませんでした。
最初のプログラム、新曲披露がはじまったのが6時50分でしたが、その後のゲストの紹介、Harunosuke師匠やH.Keizoさんの挨拶で長引いたか、しめて25分ほど。
Yumiちゃんのオンステージがはじまったのは、すでに7時20分近くになっていましたが、これが60分弱でしたから、終ったのは8時20分頃。
そして5分ほどあとに、K.Hiroshiさんの登場。はじめに各テーブルのお客さんと握手をしてまわりましたが、これは彼のプロとしてのポリシイでもありましょう、ほぼ全員のお客さんと握手していきましたから、やっと舞台に上がって歌い始めたのは8時45分近くにもなっていたでしょう。それでやむなく予定曲をカットせざるを得なくなったのか、とにかく最後の「叩き三味線」を終えたのが、9時35分から40分頃だったのではないかと思います。
次にオールディーズが10分かかって、ふたたび新曲を唱うアンコールがはじまったのは、もう9時50分になっていたでしょう。そして終ってみれば10時をすでに10分ほどを過ぎ、始まりからゆうに4時間を越えたものとなってしまったのでした。

これほどの長丁場を、嗜好の異なった二様のお客、要するにK.HiroshiのファンとYumiのファンが、いわば同床異夢のように過ごしたわけですが、KさんのファンはYumiちゃんをそれほど期待もせずとくに観たいとは思っていなかったでしょう、いわば添え物お飾りのようなものです。もちろん同じように逆のことがYumiちゃんファンにも言えるでしょう。お互いのファンはみなさん終演までお付合いするのに、それはもう心身共に疲れ果てたであろうと、容易に想像されます。
とくにプログラム上、後ろに回ったK.Hiroshiのファン、この人たちはHiromaiさんと旧知の方が多いでしょうから、それはもうストレートに遠慮会釈なしにその不満をぶつける、歯に衣着せぬはげしい攻撃の言葉がさまざま、Hiromaiさんに飛んできたのではないでしょうか。
また、集客の数も思ったほどには伸びず、準備万端整ってきた直近には、かなりの赤字が出ることも明らかになってきていたことでしょう。
具体的なことはまったく存じ上げませんが、私自身のわずかな経験に照らしても、結果として50万近いほどのマイナスになるのではないかと、余計なこととはいえそんな心配が脳裏をかすめています。

ふりかえれば、10月のYumiちゃんのディナーショーの直後から企画され、準備が始まって、半年近くかけあれこれと苦労を重ねてこられたわけですが、やっと幕を降ろしてその重荷から解放される筈の今、Hiromaiさんはそんな解放感に浸れるどころか、その逆、四面楚歌の心境で、出演の両者にはもちろんのこと、関係者にも、お客さんにも、とにかくみなさんに喜んで貰おうと一所懸命にやってきたのに、結果はご自分に批難や攻撃が集中している、そんなバカなことにどうしてなるんだと、悔しいやら哀しいやら、やり場のない割りきれない想いが渦巻いているのではないでしょうか‥‥。

ただ、少し冷静になって思い返してみると、「翔く二人」と名付けたこの企画、K.HiroshiとYumiを、対等に並べたように見えること自体に、そもそも問題があったのでしょうネ。とりわけKさんの関係者やファンの方々には、その時点で反感を買う火種となっていたのではないかと思われます。
そのうえ、私も出席した、プログラムについての打合せの際、T社長の主張、KさんとYumiちゃんの共演シーンを作らないこと、お互いの歌の場面を交互に挟みながら進行させないで、各々個別にオンステージを行うこと、そしてその場合、大先輩としてのプライドもあるでしょうが、当然にYumiちゃんが先、Kさんが後に回るという順になること、そういう骨子にならざるを得なかった時点で、Kさんサイドやファンの方々にとってはマイナスにしかはたらかない、いい結果にはならないと予測できたのではないでしょうか、そんな気がします。

私とすれば、この打合せの席で感じたことは、これはもう大変だなあ、こういうプログラムで行うかぎり、わざわざ観に来られるお客さんにとっては、心理的にとても負荷のかかる会になってしまうなあ、とはいえ私自身の立場は、そうなるとしても少なくともYumiちゃんファンの方々に少しでも納得してもらえること、その工夫に全力を傾注することが課題となるわけで、全体の構成や問題に口を挟むのはそれこそ越権行為、出過ぎた余計なお世話となるでしょうから、その点においては見ざる言わざる聞かざるになるほかはなかったのですネ。
そんな口の重い私の姿勢や態度なりが、KさんサイドやHiromaiさんに、いろいろと不快感を与えたのではないかと推量もされ、些か心苦しく申し訳ないとは思いながらも、立場上やむをえない仕儀だったかとも思っております。

最後になりましたが、今、Hiromaiさんがどのような考えや心情にあられるか、ちょっと想像はつきませんが、これに懲りず、持ち前の旺盛な気力で、また新たな企画に邁進されることを祈りおります。
いずれまたお会いする機会があれば、其の折はよろしく、お手柔らかに願います。
末尾になりましたが、ご主人にもどうかよろしくお伝えください。太鼓や三味線の椅子など、転換の出し入れに協力願いましてありがとうございました。
猶、印刷費の領収証を同封致しましたので、どうかご査収ください。
 ―4月11日深夜記す


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Photo/名護屋城趾風景と名護屋城復元模型

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―山頭火の一句― 行乞記再び -32-
1月24日、小春、発動汽船であちこち行乞、宿は同前

早く起きる、何となく楽しい日だ、8時ポッポ船で名護屋へ渡る、すぐ名護屋城趾へ登る、よかつた。−遊覧地じみてゐないのがよい、石垣ばかり枯草ばかり松ばかり、外に何も残つてゐないのがよい、ただ見る丘陵の起伏だ、そして一石一瓦ことごとく太閤秀吉を思はせる、さすがに規模は太閤らしい、茶店−太閤茶屋−ただ一軒の−老人がいろいろと説明してくれる、一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸、大手搦手、等々々、外濠は海、内濠は埋つている、本丸の記念碑-それは自然石で東郷元帥の筆-がふさはしい、天主台は15間、その上に立って、玄海を見遥かして、秀吉の心は波打つただらう、その傍らにシヤンがつつましく控えていたかも知れない。

後方の山々には日本諸国の諸大名がそれぞれ陣取って発露としただらう。
私は玄海のかがやきの中にを豊太閤の姿を見た。-略-

2時間ばかり漁村行乞、ありがたいこともあり、ありがたくないこともあつた。
12時近くなつてまた発動汽船で片島へ渡る、1時間ほど行乞、蘭竹の海岸づたひに田島神社へ参拝する、ここに松浦佐用姫の望夫石がある、祠堂を作つて、お初穂をあげなければ見せないと宮司がいふ、それだけの余裕もないし、またその石に回向して、石が姫に立ちかへつても困るので堂の前で心経読誦、そのまま渡し場へ急いだ、ここでも水を飲むことは忘れなかつた。

呼子へ渡されたのは2時、あまり早かつたので、そして今日は出費が多かつたので−渡船3回で30銭、外に久し振りにバツト7銭、判をいただいてお賽銭5銭など−1時間行乞、宿に帰つて、また洗濯、また一杯、宿のおかみさんが好意を持つてくれて鰯の刺身一皿喜捨してくれた、私も子どもに1銭2銭3銭喜捨してやつた。-略-

呼子町の対岸には遊女屋が10余軒、片島にも4.5軒あった、しかし佐用姫の情熱を持つたやうな遊女は見当らなかつた!
石になるより銭になる、石になれ、銭になれ、なりきれ。-略-

同宿のテキヤさん、トギヤさん、なかなかの話上手だ、いろいろ話してゐるうちに、猥談やら政治談やら、なかなか面白かつた、殊にオツトセイのエロ話はおかしかつた。-略-

※表題句の外、4句を記す

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Photo/三女神-多紀理毘賣尊・市杵島比賣尊・多岐津比賣尊-を祀る呼子の田島神社とその遠景

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