蘭竹もかれがれに住んでゐる

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−日々余話− Soulful Days-33- 一矢報いるか?

昨日、知友でもある衆議院議員熊田あつし君宛と、厚生労働省医政局医事課試験免許室宛に、以下の書面を簡易書留にて送付した。<医師免許交付に係る、請願書>
 厚生労働大臣 長妻昭 殿
第104回医師国家試験受験者、T.K儀
  昭和×年×月×日生
  住民登録上の住所:奈良県生駒市萩の台×丁目×番×号
  現住所:大阪府大阪市港区弁天×丁目×番×号 
 この者は、平成20年9月9日、午後8時15分ころ、大阪府大阪市西区境川1丁目6番29号先路上において、MKタクシー乗務員M.Kの運転する車と衝突事故を起こし、同車後部座席の乗客H.Rを死傷(9月14日死亡)せしめた者です。
 この者の、さらに不届きなことは、過失致死傷という重大事故当事者でありながら、事故直後より意識不明、急性硬膜下血腫及び脳浮腫を起こし、瀕死の床にあった被害者を一顧だにすることなく、ひたすら自らの保身のみを図り、また自身の過失をいっさい認めようとせず、事故管轄署の事情聴取に対して専念先行し、自身に有利な事故調書となるよう事実と異なる供述をなし、事故原因の真相を闇から闇へと隠蔽せしめた疑いがきわめて高いことであります。
 よって、この者の医師国家試験における合否のほどは知る由もありませんが、医師免許交付の差止め等、適切なるご処置を執られますよう、以下列記の関係資料を添えて、旁々お願い申し上げます。
 添付関係資料
  一、処分通知書の写し、1通
  二、通知書(略式命令決定)の写し、1通
  三、交通事故証明書の写し、1通
  四、告訴状(大阪地方検察庁宛)の写し、1通
 平成22年4月12日   署名押印

今夕、熊田あつし議員から電話、私からの書面を読んで、すぐさま動いてくれたらしい。曰く、国会の常任委員会である厚生労働委員会の理事を務める民主党議員に書面を託した、とのこと。託されたほうの議員は、請願の趣旨は尤もなこと、関係法に照らしてあるべき措置を取るように善処する、と言ってくれたらしい。いずれにせよ、あらためて回答がある由。

さかのぼって、Tが今年の医師免許国家試験を受験することになったと聞かされたのは、Tの父親からで、2月12日のことだった。その週の火曜日-2/9-だったか、昨秋以来、彼から連絡があり、会いたいとの申し入れでこの日の対面になったのだった。この席で、Tが検察から出頭の呼出しがあり、翌週の火曜日-2/16-に出向くことになっていると報告を受け、そんな話にも及んだのだったが、試験日がいつのことなのか尋ねもせず、知らぬままに別れた。

夜になって、はてその試験はいつのことかと調べてみて、またまた愕然とさせられた。なんと、21年度の試験実施は2月13.14.15の3日間とあり、翌日からではないか。おまけに試験を終えた翌る日に検察へ出頭だと、試験の前日に会おうなどと、こんなタイミングでよくもまあヌケヌケと、さすがにカッと頭に血が上って、すぐさま父親に電話した。有無を言わさず、明日、もう一度出てこい、と。

合否判定の発表は3月29日となっていた。
大阪地検が起訴処分を決定したのが3月19日、簡易裁判所が罰金30万円の略式命令を下したのが3月23日である。
医師法によれば、罰金刑を含む前科ある場合は、医師免許受験資格の欠格事由となることが明記されている。されてはいるが、その刑罰の軽微なる場合、担当教授などの嘆願書などが添えられ、且つ合格点に達していれば、免許交付において一定期間の保留処分とされるにすぎない。

医学部6年の学業を終えたにもかかわらず、学生時代の遊び暮しが嵩じてか医師免許の試験も受けず、ウェイクボードのプロになって3年、4年と気ままに放蕩してきた輩が、人ひとり死なしめる大事故を起こした挙句、将来を憂慮する父親たちの説得の前に、さすがに自身も将来不安を感じてか、医学博士の資格を取りにかかったということだが、それがこのタイミングか、あまりにも出来過ぎていて、此方はただただ開いた口が塞がらないというしかない。

合否判定の結果は、固有名など判るはずもないが、統計的な数値のみ公表されている。
受験者数8,447名、合格者数7,538名、合格率は89.2%と高率だ。
この内、新卒の受験者7,701名、同合格者7,147名で、合格率は92.8%となっている。
ならば、746名の新卒以外の者が受験し、内合格者は391名となるから、合格率は52.4%とぐんと下がる。いかに現役有利であるか一目瞭然だが、さりとて5割を越える合格率ならば、受験勉強などロクにしている筈もない遊び人の奴とてはずみで受からぬこともない。おめおめとただ座視しているわけにはいかぬと、厚生労働省への直訴と相成ったのだが、この請願を必ずや担当部局に採り上げさせるには実力行使に及ぶしかないと、前回の選挙でめでたく議席を得た知友を頼った次第である。


―山頭火の一句― 行乞記再び -31-
1月23日、雨后晴、泥中行乞、呼子町、松浦屋

波の音と雨の音と、そして同宿のキ印老人の声で眼覚める、昨夜はアル注入のおかげで、ぐつすり寝たので、心身共に爽やかだ。

とうとう雨になつたが、休養するだけの余裕はないので、合羽を着て8時過ぎ出立する、呼子町まで2里半、11時に着いて2時半まで行乞、行乞相もよかつたが、所得もよかつた。

呼子は松浦十勝の随一だらう、人も景もいい感じを与へる、そしてこの宿もいい、明日も滞在するつもりで、少しばかり洗濯をする。

晴れて温かくなつた、大寒だといふのに、このうららかさだ、麦が伸びて豌豆の花が咲く陽気だ。
私でも−私の行乞でも何かに役立つことを知つた、たとへば、私の姿を見、私の声を聞くと、泣く児が泣くことをやめる!

中流以上の仕舞うた屋で、主婦もご隠居もゐるのに、娘さん−モダン令嬢が横柄にはじいた、そこで、私もわざと観音経読誦、悠然として憐笑してやつた。-略-

今日は郵便局で五厘問答をやつた、五厘銅貨をとるとらないの問答である、理に於ては勝つたけれど情に於て敗けた、私はやつぱり弱い、お人好しだ。-略-

※この日句作なし、表題句は1月6日記載の句

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Photo/現在の呼子湾全景と、平成元年に開通したという呼子大橋

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