山路きて独りごというてゐた

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−日々余話− Antinomy

どうしたことか土、日と休日なのになんだか疲労を溜め込むような二日間だった。

9時過ぎに家を出て、KAORUKOとJUNKOを阿倍野区民センターへ送り込む。年に一度のピアノ教室の発表会だ。
その足で母校同の窓会館へ車を走らせる。遅刻するかと思ったが会議の始まる10時にギリギリ間に合った。
11時半を少し過ぎたあたりで勝手ながら退席させてもらって再び発表会の会場へ、なんとかKAORUKOの出演前に駆けつけることはできた。

夜は次兄と甥・姪たちの宴会、6時を15分ほどまわった頃に堂島の会場に着いたのだが、すでにみな揃っていて、今まさに乾杯が始まろうとしていた。
宴席に顔を出した途端、一足早くやってきたらしい息子のDAISUKEが一番手前に座っていた所為で、眼と眼が合ったが、声をかけるいとまもなくズイーと奥の次兄の座る横へと通された。
ちょうど次兄の二男KEIJI君が対面に座っていたので、飲み食いのさなか短いながらも問うべきは問い、少しは彼の本音の部分に触れ得たので、一応所期の目的は果たせた。
それにしても長い宴、此処でほぼ3時間を費やし、なお二次会で2時間、此方はスナツクの狭い部屋でカラオケばかり、もうこんなのとんと縁がないものだから心が疲れる。

どうにか午前様にはならずに家にたどり着いて、本を読むほどの気力もなく、横になるとすぐに寝入ってしまったが、なぜだか3時間ばかりで眼が覚めた。覚めたといっても茫としている、テレビを点ける、とろとろする、眼があく、本を手に取ってみる、またとろとろする、そんな繰り返しでいつのまにか空は明け出していた。

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Photo/KAORUKOのピアノ発表会

日曜の朝は、いつもなら揃って稽古に出かけるところだが、ずっと仕事に追われて溜まりに溜まったストレスで、アイスランドの火山爆発ではないが、もう暴発寸前とみえるJUNKOのたっての希望で、今日は休みとした。

そう決めていたから、私は事前に、事故問題の刑事裁判や民事訴訟の報告やら相談やらでIKUYOやDAISUKEと会うことを約していた。
9時半に家を出て、途中でDAISUKEを拾って波除のIKUYO宅へ。
この二人との会話は、事故直後から半年ほどを経た頃から、互いに齟齬も殆どなくなり、本音を露わに出せるようになってきている。それは歓迎すべきことにはちがいないが、私が別に家族を有している以上、IKUYOが独り暮しをしていることがどうしても心の負担ともなってくる。RYOUKOの事故のことで私が動けば動くほど、仕方のないこととはいえ、その問題とも直面せざるを得なくなっている。
オレは、お人好しなのか、それとも人がワルイのか‥。


―山頭火の一句― 行乞記再び -35-
1月27日、雨、曇、晴、行程3里、莇原-アザミバル-、若松屋

同宿の老人が早いので、私も6時前に起きた、9時まで読書、沿道を行乞しながら東へ向ふ、雨はやんだが風がでた、笠を吹きとばすほどである、ヨリ大声でお経をあげながら流して歩く、相当の所得があつたので安心する。

此地方はどこも炭坑街で何となく騒々しくてうるさい、しかし山また山の姿はうれしい、海を離れて山にはいったという感じはよい。

相地の街に、千里眼人事百般鑑定といふ看板がかけてあった。
ある商家の前でグラグラした、近来めづらしい腹立たしさであつた。
けふのおひるは饅頭一つだつた、昨日のそれは飴豆二つだつた-いづれもおせつたい-。
厳木-キウラギと読む-は山間の小駅だが、街の両側を小川がさうさうと流れてゐた、古風な淋しいなつかしいところだった。

宿のおかみさんが、ひとりで弾いて唱つて浮かれてゐる、一風変つた女だ、何だか楔が一本足らないやうにも思はれるが。
同宿3人、誰もが儲からない儲からないといふ。
ぐうたら坊主、どまぐれ坊主、どちらもよい名前だ。

※表題句の外、句作なし

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Photo/相知の見帰りの滝、日本の滝百選の一

嘗て相知町は炭坑町であった。三菱による相知炭坑が明治後期から開発され、隣町の厳木町岩屋などに炭住街が形成され、さらには付近一帯に新田開発の農業振興策も計られ、明治末〜大正、昭和初期にいたるまで棚田の拡大期となったようである。

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Photo/日本の棚田百選の一、相知の棚田風景

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