もう転ぶまい道のたんぽゝ

Santouka081130024

−日々余話− Soulful Days-36- スタートラインに立てたか

訴追側の検事、国選の弁護士、おそらくどちらも一年生の若い法曹人。それぞれに二度ずつ会ってきたが、これまで及び腰だった弁護人は、歯噛みするような二度目の面談の時とはうってかわって、ようやく闘う姿勢に転じてくれたようである。
昨日の午後から会うというMに、まだ仕上り半ばの陳述意見書の素案を持たせ、行って貰ったのだが、やっと此方の本意がほぼ通じたらしい。

休み明けの7日はいよいよ初公判だ。法廷の場で、こんどこそ事故の事実関係を洗い直すことが出来る、少なくともある程度は。そう、全容解明なんて、そんなこと期待しちゃならぬ、相手方Tにも相当の過失があったのではないかと、どう考えても疑いが残る、まあそんなところで落着するしかないだろう。

それにしても、西署の初動捜査は、事故当夜の現場検証、そして双方の車の実況見分ということのみで、あとは当人らの供述のみに頼った捜査で了としたのだろう。一応ドライブレコーダーを見る機会があったのに、この記録に基づき、再度の現場検証を何故しなかったのか、大いに疑問が残る。
事故の数年前に自己破産を経験しているM、だからこそタクシー運転手への転職であったろうが、そのMの経歴を素因として、偏向的な捜査が行われたのではないか、そんな勘ぐりまで起こしたくなるようなずさんな西署の捜査‥。

それにしても、検察は、折角ドライブレコーダーを詳細に分析しながら、西署の調書をただ追認するような結論しか出せなかったのか。捜査上の欠陥を認めることが容易ではないことはわかるが、さりとてこのまま法廷に持ち込まれた場合、却ってより大きな汚点となることもあり得るではないか。残念なことではあるが、彼らもまたたんなる手続き上の不手際、形式上のミスというものを、なによりも畏れなければならぬただの官僚にすぎないのか‥。


−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-3-
石川九楊編「書の宇宙-24」より

・近代の書

言うまでもなく、西欧の文化・文明を取り入れることによって、日本の近代化は達成された。しかし、その西欧の文化や文明は、植民地のように直かに入り込んだのではなく、いったん漢語に翻訳されることによって、主体的に日本に、また日本経由で東アジアに根づいていったものである。この事実から言えば、近代化は一面では西欧化であるが、その根幹は中国化にあった。漢語・漢字化、つまり中国化を強めることによって近代化は可能になった。旧来の日本史は、近代化を表面的に西欧化の側面だけで見すぎ、その根幹における「漢化」を見落としてきた。実際には、近代化は卓抜した造語力をもつ東アジア漢字語-漢語-を駆使することによって、「和魂洋才」+「和魂漢才」、つまり「和心・漢魂・洋才」として進展したものである。

明治13年、清国の地理学者・楊守敬が1万3千点の碑版法帖を持って来日、これら中国の書を通して、或いは副島種臣などの政治家や、文人・書家らが渡清し、中国で多くの書や書史に触れることによって、近代書史は江戸時代末期までの書とは一変することになった。

中国の書へのリアルな視線は、「唐様」の改革−「六朝化」をもたらす。
六朝時代の石刻楷書、さらに秦漢代の石刻の篆書体や隷書体などを、石刻の鋭さと刻りの深さをもった強靱な書体として認識すること−、それは日本書史上はじめて書の根拠たる石刻の書を受けとめた一大事件であり、近代の進取の精神に対応したものであった。

中林梧竹「七言絶句」
幕末維新期の書をすっきりと脱けた、中林梧竹-1827〜1913-の輪郭明瞭な書。清朝碑学の書を基盤としながらも、此を完全に消化・吸収し、新しくつくり変えている。つややかでしなやかで強靱な筆蝕を基調にし、構成は近代的で大胆。現在なお色褪せない、彼70歳頃の鮮やかな行書体の作品。

2406

/浅深春色幾枝含。翠影
/紅香半欲酣。簾外輕屋人
/未赴。賣花聲裡夢江南。

・  々 「七十七自寿詩」
梧竹77歳、喜寿を自ら祝う作。筆画は太さを増し、粘着力をいっそう増している。
行間は、許友ら一部の明末連綿草のように詰まる。隙があれば攻め入り、入り込む余地がなければこれを避けながら書き進め、文字はびっしり紙面を埋め尽くす。草書体でありながら、たんに書速に従うだけでなく、隅から隅まで大胆且つ細心に構成する。筆画と構成との間に忍び込む落差、その人工性に、梧竹の書の抜群の近代性がある。


2405

/文政丁亥。惟我生爲。今歳癸卯。七十七/年。一攀華泰。再入古燕。雖恥玉砕。猶喜
/瓦全。游心物外。棲神象先。抱朴守一。/精固氣専。無墨之筆。無佛
/之禅。吟嘯風月。笑倣雲烟。乗彼大化。/榮彼自然。自壽梧竹。


―山頭火の一句― 行乞記再び -48-
2月9日、風雨、とても動けないから休養、宿は同前。

お天気がドマグレたから人間もドマグレた、朝からひつかけて与太話に時間をつぶした。

※句作なし、表題句は2月8日付所収の句

05031

Photo/諫早市松里町にある有喜UKIビーチ

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