君が手もまじるなるべし花薄
−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-2
石川九楊編「書の宇宙-24」より
・西郷隆盛「示子弟詩」
幕末維新の書の典型、臭うような精気を放つ、西郷隆盛-1827〜77-の書。
筆尖は紙に対して垂直に立ち、紙面上をうねうねぐねぐねと、のたうちまわる。連綿草書体で書かれているが、中国明末の連綿草と較べると、一点一画の書法、また筆の返しなどの正確さに乏しい。その意味では、禅僧墨蹟系の無法の書に属する。
小さく、しかし太く<世>を書いておいて、<俗>のイ部に向けて勢いよく長く引き出し、そのあとはヘアピンカーブを描いて旁に連続し、谷部の第1筆に移り、第2筆を書き終えた後、また垂直気味に第3筆の左ハライを書き、残りの筆画はうねうね蛇行させながら書き進める。和様の骨格をもちながら和様のように浮沈-痩肥-させないで、筆圧は一貫して高い。
必ずしも爽やかなものではない筆圧を伴った蛇行こそが本作の特徴であり、明治維新をもたらした力源である。
/世俗相反處。英雄却好
/親。逢難無肯退。見利勿全循。
/齋過沽之已。同功賣是人。
/平生偏勉力。終始可行身。
・大久保利通「下淀川詩」
この大久保利通-1830〜78-の作もまた、幕末維新の志士特有の書。うねうねぐねぐねと蛇行し、回転する筆蝕は西郷隆盛と同様。
しかし西郷が、どちらかと言えば横の水平動にアクセントを置くことよって、字形はやや縦長に構成される。また、西郷があまり強弱・抑揚を見せないのに対して、大久保のこの作では、第1行を強い筆圧の<爲>で始め<客京城感慨>と筆圧を弱め、第2行の<此夕意如何>では筆圧を強め大きく書いている。
第2行の強の<意如何>と第3行の弱の<鷗眠>、さらに第4行の強の<戴夢過>のコントラストは構築性に富んでいる。<何>の擦れの縞模様は畳の理-め-の跡。筆は力の表現であるからこの、この畳理は筆圧と筆勢の強さを強調する効果をあげている。
/爲客京城感慨多。孤舟
/此夕意如何。水關
/不鎖鷗眠穏。十里長江
/戴夢過。
―山頭火の一句― 行乞記再び -47-
2月8日、雨、曇、また雨、どうやら本降らしくなつた。
ひきとめられるのをふりきつて出立した、私はたしかに長崎では遊びすぎた、あんまり優遇されて、かへつて何も出来なかつた、酒、酒、酒、Gさんの父君が内職的に酒を売ってをり、酒好きの私が酒樽の傍に寝かされたとは、何といふ皮肉な因縁だつたらう!
- 略- このあたりには雲仙のおとしごといひたいやうな、小さい円い山が4つも5つも盛りあがつてゐる、その間を道は上つたり下つたり、右へそれたり左へ曲つたり、うねうねぐるぐると伸びてゆくのである、だらけたからだにはつらかつたが、悪くはなかつた、しかしずいぶん労れた、江ノ浦にも泊らないで、此浦まで歩いて来た、
有喜の湊屋。
有喜近い早見といふ高台からの遠望はよかつた、美しさと気高さとを兼ね持つてゐた、千々岩灘を隔てて雲仙をまともに見遙かすのである。‥
- 略- このあたりは陰暦の正月3日、お正月気分が随処に随見せられる、晴着をきて遊ぶ男、女、おばあさん、こども。
長崎から坂を登つて来て登り尽すと、日見隧道がある、それを通り抜けると、すぐ左側の小高い場所に去来の芒塚といふのがある。-略-
※表題句の外、3句を記す
Photo/諫早市早見あたりから千々岩灘をとおして望む雲仙
Photo/現在の諫早市有喜漁港全景