あたたかくて旅のあはれが身にしみすぎる

Dc090707116

−日々余話− 紙面の写真のひと

公人でもなく、自分の知る人が、新聞の紙面を飾るのに出会すなどというのは滅多にあることではないが、本日の毎日新聞の夕刊を読みながら、掲載記事の中のひとりの女性の写真に眼が釘付けとなり、思わず記憶の糸を手繰り寄せていた。

奈良美智村上隆など現代アーティストたちの収集作品1000点を、「個人宅で作品を守るのは難しく、美術館への寄贈が一番。寂しいけれど地震や火災におびえなくていいので安心」と、20年余りにわたって買い集め、愛蔵してきたのをすべて気前よくポンと、和歌山県立美術館に寄贈したという御仁、大阪教育大名誉教授田中恒子さんとあるが、彼女の旧姓は水島、昔をよく知る人というばかりか、私の育った家の隣人であったから、イヤ驚いた。

たしか、水島一家はそれまで安治川の源兵衛渡し付近に住んでいたのを、私が中一の頃だったと思うが、隣に越してきたのだった。彼女の弟は私と同年、中学・高校と一緒だったし、とりわけ中学時代はよく行動をともにした間柄だったし、姉の恒子さんは4歳年上で、次兄と中学の同期となるし、かなり家族ぐるみの交わりもあったから、よく憶えている。

新聞に映っているのは全身の写真で、あまり大きくはないから、記事を読みつつ、はてこの人、ちょっと待てよ、とよくよく眺めては気がついたのだった。
ひとしきり懐かしさに耽ったものだが、偶さかこんなこともあるものだ。


−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-7-
石川九楊編「書の宇宙-24」より

副島種臣「七言二句」
これまた雄大・雄壮な作。詩中の<蓮岳>は富士山、<墨江>は隅田川を指すのだろうか。とすれば日本を強く意識した作である。<天><千>は、左ハライを右ハライにと左右を入替えた裏字。<古>の第2画は、縦画であるべきところを横画で書いた副島式異体字。<色>は乙鉤部以降を極端に細めた特異な書法。<流>においてはすべての字画の間をぎゅうぎゅうに詰め、余白を無理に少なく描いている。
全体に雄渾に書かれている中にあって、<蓮>の車部が伸びやかに、<墨>が小さく書かれているところに、構成の非凡さがある。
種臣という落款の位置は、自恃の気概の高さを象徴する。

2411

/白日青天蓮岳色。/千秋萬古墨江流。/種臣。

副島種臣杜甫曲江対酒詩句」
これまたあっと驚くような、気品を漂わせた作。
ひとつの字画を可能な限り三角形の変奏で書き表わさんとした、明治18年の実験作で、基調は篆書体。<桃>は<挺>に見え、よく見れば<兆>に書かれている、<細>は<紳>に見え、<時>は<昨>に見えかねない。
落款部で<酉>の懐部分が右に45度倒し、<島>は<副・種臣>の5倍ほども大きく書かれている。
書の表現の可能性を精査している姿であり、それはもはや政治家副島の姿ではなく、書家-表現者-のものである。

2412

/桃花細遂楊花落。/黄鳥時兼白鳥飛。/乙酉。副島種臣


―山頭火の一句― 行乞記再び -56-
2月17日〜22日、島原で休養。

近来どうも身心の衰弱を感じないではゐられない、酒があれば飲み、なければ寝る、−それでどうなるのだ!

俊和尚からの来信に泣かされた、善良なる人は苦しむ、私は私の不良をまざまざと見せつけられた。
同宿の新聞記者、八目鰻売、勅語額売、どの人もそれぞれ興味を与へてくれた、人間が人間には最も面白い。

※句作なし、表題句は2月2日の句

05102

Photo/島原城天守復元は昭和39年

05104

Photo/平成4年、200年ぶりの雲仙普賢岳噴火での土石流被災を伝える保存家屋

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−