風ふいて一文もない

Santouka081130037

−日々余話− ゆみの初キャンペーン

歌手のキヤンペーンなるものに初めて付合った。歌手とはむろん松浦ゆみ。
所は十三本町の商店街筋にある恵比須堂。狭い店内に小さな仮設ステージ、その前に十数脚並べられた丸椅子に腰掛ける人や立ち見の人で満杯、道行く人もかなりの数が立ち止まって聞き入る。
僅か30分の短いステージが一回こっきり、それでも新曲のCDは30枚以上売れたらしい。

彼女にとってもこの種のキャンペーンは初めてだったそうだが、そのなかで唱った「テネシーワルツ」は、慥か私が聴くのは2度目だが、これは巧い、痺れるほどによかった。聴衆たちの反応もどよめきたつほどだった。

この種の業界でずっと生きてきた60歳過ぎのある御仁が、是比プロモートしたいと本人に直談判、そんな成行きで始まったことだが、これは大化けする最後のチャンスなのかもしれない。


―山頭火の一句― 行乞記再び -58-
2月24日、25日、行程5里、諫早町、藤山屋

吹雪に吹きまくられて行乞、辛かつたけれど、それはみんな自業自得だ、罪障は償はなければならない、否、償はずにはゐられない。

また冬が来たやうな寒さ、-寒があんまりあたたかだった-。
五厘銭まで払つてしまつた、それでも一銭のマイナスだつた。

※表題句のみ

諫早湾干拓の歴史である。湾沿岸地域は、阿蘇九重山系の火山灰質の土砂などが筑後川などの河口に流され、それが有明海を反時計回りの潮流より諫早湾奥部へと供給され続け、堤防の前面などに年間で約5?程度のガタ土の堆積が進み、干潟が発達することになる。このため、背後地よりも堤防の前面の干潟が高くなってしまい、慢性的な排水不良となる。この干潟を堤防で囲むことにより、記録によれば、約1330年南北朝の頃)から干拓が行われてきた。

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Photo/諫早湾干拓地全景

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