さみしい風が歩かせる

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−日々余話− Soulful Days-37- もうなにも‥

午前10時40分頃、またも大阪地検に出かける。
刑事訴訟法において保証された被害者家族の意見陳述なるものは、検察の意に沿うものでなければ著しく制約を受けるものだということが、嫌という程よく解った。これでは雁字搦め、お手上げである。憤懣遣る方ないが、被告人質問はもちろんのこと、意見陳述もまた、被告宥恕のみを専らとするしかない。

この刑事裁判が決ってからでも、何度も足を運んだ検察庁だが、もう来たくない、これほど不毛なことはないからだ。ひと一人の命が失われたとて、交通事故の事案なんぞ、警察にとっても、検察にとっても、膨大な処理件数のたった一つの塵芥の類にしかすぎないし、被害者の立場から捜査の欠陥を衝いたとて、法廷記録にはそのシミひとつも残すことすら出来はしないのだ。

地検庁舎を出て駐車場に戻ったものの、ここは一息気分転換、なにしろ大阪市立科学館国立国際美術館が隣接しているのだから、気晴らしにルノワールでも鑑賞してみるかと、美術館へ。
ところが当日券はなんと1500円也だ、おまけに65歳の恩典もない、いまさらルノワールにそんな出費をする気にもなれず、無料で入れる「荒川修作初期作品展」を観る。全国各地に散らばっていたという写真のごとき同じシリーズの作品が20点並んだ光景はなかなかの見応え。他に60〜70年代の概念芸術の旗手たちの収蔵作品も観られたが、こちらはなんだか焦点の定まらない展示で詰らなかった。残念ながら、気分が晴れるほどの寄り道にはならず、車に乗り込んで帰る。

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Photo/荒川修作初期作品「抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン

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Photo/荒川修作初期作品「もうひとつの墓場より№4」

夕刻、4時前になって電話が鳴る、相手は司法協会とか、公判資料のコピーが出来たので裁判所地下一階まで取りに来いとのご託宣だが、オイオイ、明日からは週末、今すぐ走らないと来週になっちまうじゃないか、連絡してくるならもう少し早く出来ないのかネ、と忌々しく思いながらも、また車で出かける始末。
5530円也というこの厚手の公判資料を、それも申請の際には取扱いにあれほど注意を受けたのに、剥き出しの裸のまま手渡されたのには、これまた面喰らってしまった。

その捜査資料や供述調書等を、読めば読むほどに、ただ呆れかえるばかり、ナ、ナンダ、コリャ、二の句が継げないとはこんな場合だろう。これで事故原因が明々白々とは、まことに畏れ入る、はっきりと矛盾するような写真もあるのに、堂々と載せられている。この歳にしてこの類のものを初めて拝見した訳だが、金太郎飴じゃあるまいに、マニュアルどおりの捜査シナリオが、こうして量産されていくといった図がよく解るだけのこと。

午前と夕刻の、このダブルパンチに、いわゆる世事における事故始末なる世界から、この1年8ヶ月の、私自身のなかの出来事は、途方もないほどの距離へと遠離ってしまっているのだということに、やっと気づかされたような感じがする。個の内側からみられた事の本質、事件のリアリティーと、法の下におけるこのたんなる形式主義によって完結されようとしている始末記の、この途方もない乖離は、これこそまさに救いがないというものであり、切り結びを求めること自体、端から虚像の、彼方に浮かんだあの蜃気楼でしかなかったのだ。

救いとは、絶望の背中にピタリと貼り付いてあり、悟達とは、まさにこれ、いっさいに対する諦めから発するのだ。


―山頭火の一句― 行乞記再び -59-
2月26日、晴曇定めなくして雪ふる、湯江、桜屋

だいぶ歩いたが竹崎までは歩けなかつた、一杯飲んだら空、空、空!

九州西国第23番の札所和銅寺に拝登、小さい、平凡な寺だけれど何となし親しいものがあつた、ただ若い奥さんがだらしなくて赤子を泣かせてゐたのは嫌だつた。

酢牡蠣で一杯、しんじつうまい酒だつた!
夢の中でさへ私はコセコセしてゐる、ほんたうにコセコセしたくないものだ。

※表題句の外、4句を記す

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Photo/九州西国第23番札所法川山和銅

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Photo/和銅寺の本尊とされる行基作伝の十一面観世音木立像

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