このさみしさや遠山の雪

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―表象の森― 剣岳-点の記

昨年、評判の高かった映画「剣岳-点の記」をWOWWOWで観た。
原作は「八甲田山死の彷徨」-1971年発表-の新田次郎だが、こちらは1977年と6年後の発表。

苛酷きわまる大自然を見事に切りとった映像は美しく、登山者や山岳愛好家にとっては願ってもない作品だったろう。
おまけにBGMの音楽が抑制気味でありながら、バッハの幻想曲とフーガト短調ヘンデルサラバンド、またヴィヴァルディの四季など、仙台フィルハーモニー管弦楽団によって演奏されたというクラッシックの名曲が、よく映像とマッチ、心に響くものとなっていた。

とはいえ「剣岳-点の記」は、良質の作品でありつつも、その感動は私的な刻印の内にどこまでも滞留するものであろうと思われる。嘗ての映画「八甲田山」のように、その物語の厚みにおいて観る者を圧倒するような類のものではないことも事実として印象深く、彼我の差には根深い今日的な問題が横たわってる。

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八甲田山」が1977年、それから早くも33年も経っている。此方は監督が森谷司郎、黒沢組で育ってきたとはいえ、当時はまだ中堅どころだった森谷監督に対し、脚本はベテランの橋本忍、製作には同じ橋本忍の外に、野村芳太郎田中友幸が名を連ね、バックアップしている。時代もなおポスト・モダンへの移行期、さればこそなお大きな物語への傾斜があり、映像とドラマとが相乗して重厚なる世界を表象しえたのではなかったか。

時代は降って2009年、「剣岳-点の記」の監督木村大作は、森谷監督の「八甲田山」で撮影を担当したように、撮影一筋の技術畑を歩いてきたカメラマンであり、その彼自身が脚本のチーフを兼ねたようである。80年代、大きな物語の終焉が喧伝されるようになってからすでに久しく、同じ原作者の、しかも明治も後期以後の同じ頃の、類似の素材と言えなくもない世界を扱って、この表象の差異は、時代の落差ばかりに収斂しえない、監督としての資質の違いも与ってあるのだろうが‥。

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―山頭火の一句― 行乞記再び -66-
3月4日、晴、市中行乞、滞在、宿は同前

9時半から2時半まで第一流街を行乞した、行乞相は悪くなかつた、所得も悪くなかつた。
何となく疲労を感じる、緑平老の供養で一杯やつてから活動へ出かける、妻吉物語はよかつた、爆弾三銃士には涙が出た、頭が痛くなつた、帰つて床に就いてからも気分が悪かつた。

戦争−死−自然、私は戦争の原因よりも先づその悲惨にうたれる、私は私自身をかへりみて、私の生存を喜ぶよりも悲しむ念に堪へない。

此宿は便利のよい点では第一等だ、前は魚屋、隣は煙草屋、そして酒屋はついそこだ、しかも安くて良い酒だ、地獄と極楽のチヤンポンだ。
一年中の好季節となつた、落ちついて働きたい!

※句作なし、表題句は2月26日付記載の句

佐賀の七賢人という称があるそうな、幕末から明治維新にかけて活躍した佐賀藩出身の人々、江藤新平大木喬任大隈重信佐野常民島義勇副島種臣鍋島直正の7人をいう。

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Photo/佐嘉神社境内にある佐賀七賢人の碑

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Photo/鍋島家の菩提寺高伝寺には副島種臣の墓もある

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Photo/高伝寺境内の古木、八太郎マキ

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